@こころのブログ

日々の心のいろいろを、出来る限りその色で綴るそんな日記。

@ゆちこの日記

ありがとうの前の、()に入るもの。

最近のゆちこをつらつらと。

①コンビニに行ったあとに。
「ゆっちってコンビニの店員さんとか、車乗るときとか、ありがとうってたくさん伝えるよね」って、友達が言ってくれた。

そして、私自身はそれを覚えていなくって。
そこに違和感が残った。

②覚えていないということは、その「ありがとう」が習慣的になってしまっているということ。
そこには、本当に「ありがたい、ありがとう」の気持ちがあったのだろうか。
覚えていないということは、きっともうある種「靴を履く」「歯を磨く」と同じように「ありがとう」という言葉を使ってしまっているのではないかと、そこに違和感が残ったんだと思う。

③ちょっと意識してみると、コンビニの店員さんからおつりをもらうとき、もうそれは反射的に「ありがとうございます」と言っている自分がいた。
それは、何に対してなのかすら感じないくらい。
パブロフの犬じゃないけど、おつりやレシートをもらう=ありがとうと伝える。
そんな構図が出来てしまっていた。

④そのありがとうは、果たして「ありがとう」の意味をなしているのだろうか。
「ありがとう」とは、そのありがとうの前に、言葉にしなくても「()」で心の中に何か理由があって、それに対する「ありがたい、ありがとう」なんじゃないのかな。

⑤例えばコンビニの場合。
「(素敵な笑顔を)ありがとうございます」
「(素早いレジ対応を)ありがとうございます」
など、その前の()をちゃんと思えているかどうかって、その「ありがとう」の一音一音に込められるパワーって違うと思っていて。

「ありがとう」という言葉が暖かいパワーを持っているとしたら、きっとその()があるのとないのでは、1/100くらい、違うんじゃないかなとふと思った。

⑥そんなわけで、今私は「()ありがとう」キャンペーン実施中です。
忘れちゃうときもあるけれど、何に対するありがとうなのか。
心の中で唱えてから、ありがとうと伝えることに取り組み中。

⑦「(この拙いブログを読んでくれて)ありがとうございます♡」

頭の中は、おもちゃばこ。

最近のゆちこをつらつらと。

①ただいま東京。
ってなわけで、東京さ帰ってきました。
約一ヶ月ぶりの東京。

そしたら、もうびっくりするくらいの青空で。
そして春だから、公園をあるけば色とりどりのお花達。

地方だからいいとか、自然がいっぱいだとかそういうわけではなく。
ゆっくり空を眺める、心の余裕があれば東京も地方も一緒なんじゃないかって思ったのです。
だって、ちょっと歩けば。
お花はそれぞれの色に輝いているし、お日様は温かいし、お空は青いし。
緑は輝いているし、もうそれは、地球からパワーがいっぱいなんだもん。
どこにいても。


②九州は、結局ほとんどが居候させてもらったり、泊まらせてもらったり。
車も持ってなかったから、基本的に送ってもらったり、行きたいところがあるときは貸してもらったり。

びっくりするくらい。
いや、びっくりしたんだけど、本当にお世話にしかなっていないそんな一ヶ月だった。

個人日記に、お世話になった人を書き連ねたら、もうそれはすごい量で。
ほんと、みなさまありがとうございます。

おかげで、心ポカポカです。
心ポカポカだから、スタバの店員さんにも、コンビニの店員さんにも、いつもよりぐっと笑顔になれて。
小さいけれど、巡り巡って、世界に恩返しできたらいいな。
小さいけれど、小さいことから。

③東京に帰ってきて何をしているかというと、今まで以上に空を眺めたり、芝生にねっころがったり、お日様を感じたりしています。
ムダな隙間時間がないように、仕事やアポを詰め込んでいた時期もあるけれど。
今の私には、この「ゆったりする」のがとても合っているココロみたいです。


そして、その中で湧き出るアイデアや、人への想いを大切にしていこうと。
そうやって生きてみたらどんな感じなのか、に取り組んでみようと思うわけです。


④1月と2月はがっつり働いてみる、がテーマ。
そして3月は、がっつり甘えてみる、がテーマ。
こうやって、色んな実験をしながら、自分にとっての心地よいを計っているそんな毎日です。
そして、それは一つだけではなくて、色んな時期がある、が私にとって一番心地よいのかもなと、そんなことを思い始めた最近です。

⑤九州で、運命的な出逢いがあって。
こんなに一緒にいてココロが喜ぶ人がいるんだと、驚きがいっぱい。
嬉しいこと、楽しいこと、ハッピーなこと。
自分にとって、そんな自分でいることがとっても幸せだから。
私は、そんな時間を大切に生きて行こうと思うわけです。

⑥やりたいことがいっぱい。
だから、どんどんやろうと思う。
30歳になったから、そろそろ決めようとか、一つに絞ろうとか思っていたけれど。
まだまだ、私は色んなことに手を出したい、そんな気持ちがあるみたいです。

大好きな友達に、そんな話をすると
「ゆっちの素敵なところは、柔軟に変化を受け入れること」
と言ってくれて。

でも、一方で
「軸がなくコロコロ変わりすぎだし、飽きっぽすぎる」
と言われることもある。

色んな意見があって、そしてそれを伝えてくれることに感謝をしながら。
いつか死ぬ時に、この人生で本当によかったって。
お父さん、お母さん、ありがとうって。
そう、誰のせいにするでもない、そんな人生を歩んでいこうと思います。

⑦頭の中が、カラフルなおもちゃ箱みたいに。
今、色んな構想があって。
自分でも全然整理出来ていないけれど。
やりたい!と思っても出来てない!ってことは、ココロの「お楽しみボックス」に溜め込みながら、出来ることから色々とやっていこうと、思うわけなんです。

⑧そんなわけで、しばらくは九州と東京の2拠点生活です。
九州の住まいは、キャンプ場の森の中。
ツリーハウス下、白いコテージ住まいです。
今流行の、小屋住まい。

⑨誰かに知ってもらいたくて、行動や生活をしているわけではないので、中々発信が追いついていないけど。
「もっとゆっちの毎日や、生き方や、考え方を知りたい」ってそう言ってくれる人がいてくれるから。

発信はやっぱりもっと、していこうと思うんです。


⑩森の中で飲むコーヒーも美味しいけど、スタバも好きだなあ♡
そんな、六本木のスタバより。

結局自分は、あまえんぼ。

今日のゆちこをつらつらと。

①鹿児島生活も、今日で7日目。
今日はお仕事デーだったので、朝からスタバへ。
そして鹿児島に移住したはるちゃんとランチ。
お土産の買い物して、カフェで仕事して、美容院行って。
そして、またスタバで仕事。

鹿児島に来てるからって、毎日桜島に観光してるんじゃなくて。
こうして、違う土地で「暮らして」いる感覚が日常になっていることが、当たり前のようで当たり前じゃないんだなーと。

②昨日はゲストハウスに宿泊したのだけど、朝に声をかけてくれた大学生がそれはもう、爽やかだった。
ココロで生きている、そんな風が漂っていて。

なんか、いいなって思った。
つい頭で考えていっぱいになっちゃっていた私は、忘れていたそんな感じを思い出させてもらった。

③昨日の夜、頭の中がいっぱいいっぱいになって。
どんどんその時の色がこぼれていってしまっている気がして、友達にヘルプのメッセをしたら。
今日、貴重なお昼休みに電話をくれた。
その温かさが嬉しかったし、同じようなことを考えていたことも、また嬉しかった。
最先端、これが今の自分のキーワード。

④やりたいことが、いっぱいある。
できてないことも、いっぱいある。
友達曰く、幸せだねって。
ついつい、ないに目がいっちゃうけど。
やりたいことがなくて、毎日ぼーーーーっと過ごしていたときや、無力さと自分の存在価値のなさにいたたまれなかった日々を思い出した。

⑤当時の私は、平日の昼間にカフェにいるだけで、世界に対して申し訳ない気持ちがいっぱいだった。
みんな今ごろ、必死に働いているのに、私は何をしているんだろって、思って泣きそうになった。(実際泣いてた)

電車に乗って、目の前の人が疲れ果てて眠りこけているのを見て、「この人は今日自分を使い切ったんだな」って羨ましくて羨ましくてたまらなかった。

⑥もちろんまだまだそんな時もあるけれど。
でも、やりたいこともだけど、少しずつ。ほんと、すこしずつ、「やれること」が増えてきたことも、きっとそこからの打開に繋がっているんだと思う。

⑦こうなりたいから、今こうしよう。
そういう計画って、大事だなって思う。
そして、そういう計画が、全く立てられないことも、自分の弱さと未熟さであるけど、一つの性格だとも、思う。

面白そう!と思ったら全力でとびつくし、飛んで行く。
「反射で生きている」と言われたけど、ほんとそうで。

計画性とか全くないから、いつか困るかもしれないけど。
周りは大変かもしれないけど。

頭でどうこう考えると、ピタっと止まってしまうから。
まずは目の前のこと、ココロが動いたことを全力でやることでいっかって、なんか一つすっきりした。

ブランディングとか、計画性とか、プロデュースとか。
誰か、頼んます。)

⑧細かく立てるとしゅんってなっちゃうから。
大きく、3年後こうなってるぞっていうのだけ、決めた。
うん、そのくらいが、私にはちょうどいいみたい。

⑨土の人と、風の人。
風の人として動けば動くほど、やはり「次はうちにきてね!」という、土への憧れが芽生えるのです。

ーー
風になればなるほど、「今度はうちに!」って言える土の強さを知るよ。
あたしもゆくゆくは土の要素を強めていくんだー!目指すは!
ーー

と、Facebookのコメントにふと書いたけど。
そうなのです。

だからこそ、今自由に動けるうちに。
色んなところに、風として、根付きにいくんだ。

今、全部出来なくても。
人生トータルで、出来ればいい。

そう伝えてくれた友達。


⑩こんな感じで、迷ったときも悩んだときも。
嬉しいときも、どんなときも。
色んな人に甘えまくりで、私は活かして頂いているのです。

⑪明日は鹿児島を出て、博多→大分に帰ります。
4年ぶりくらいに友達に逢うのが、とても楽しみで、そしてちょっぴりドキドキします♡

贅沢じゃないけど、豊かな時間をすごしたい。

最近のゆちこをつらつらと。

①鹿児島にきています。
そして先週末は、今回鹿児島にきたメイン目的でもある「さつまものづくりツアー」に。
鹿児島でものづくりなどをしている会社さんを4社回って、お話をお伺いするという、ヒトと暮らしに触れにいく、そんなツアー。
参加費無料。旅費も1万円出してくれるという、なんともびっくりな、そんなツアー。

結論、これはすごい。

②すごいポイントはたくさんあるんだけど、一つは「ツアー」という可能性を多いに感じた。
知らない地に行って思うのは、やっぱりそこで触れられるのはどうしても観光になってしまうこと。
でも、その現地に根付いたヒトに案内してもらうことで、ツアーというくくりで時間を取ってキーパーソンのお時間をもらうことで。
暮らすがとっても近くなる、そんな時間を過ごすことが出来るんだって、胸がたかなった。

③鹿児島には最先端があった。
ほんと、実は最先端。

「暮らす」が中心にあって、それを豊かにする、丁寧な「しごと」がそこには、あった。
ああ、書ききれない。

 

④今回の鹿児島の滞在で、自分のこれからにも変化があった。

一つめは、想いの押し売りをしない、ということ。

 

⑤こだわりがあるもの、丁寧に作られているものが私はスキで。
そんなもので、世界が回ったらいいなと思っている。

だけど、こだわりを押しすぎて、こだわり売りするのは違うなって思うようになった。

理想のカタチは、オウチに友達が遊びにきてくれて、ちょっと出したお豆腐がとても美味しくて、「なにこれ美味しい!」ってなったときに、「実はこれはね・・・♡」ってこだわりを説明出来る事だなと。
それって、暮らしにあるものだし、豊かにするものだし、こだわり押しではなくて、美味しいものにこだわりがある、という理想のカタチだと思った。

⑥ストーリーを話すのはもちろん大事。それを知ったうえで、取り入れて欲しいという気持ちは変わらない。
だけど、そのこだわりが、独りよがりではいけなくて。

やっぱり、美味しいとか、身体にいいとか、使うヒトを喜ぶものである努力がされているものという視点は大事だと思った。

とはいえ、選ぶのは消費者だから。
その選択肢を増やしたり、その選択肢の価値をしっかり伝えることは、大事なんだけど。

思いがあります!こだわりがあります!
ではなくて。
自分がまずは、美味しい!嬉しい!これは!
そんな、商品自体の価値を感じたものの、ストーリーを伝えていくこと。
その順番が違ってはいけないなと、そんな発見があった。

 

⑦そして、金曜日に友達ご夫婦のオウチへと泊まらせてもらったのだけど、それがもう人生に大きい印象をもたらせる出来事だった。

丁寧な暮らし。
美味しいごはん。温かい場所。笑顔の2人。

その中に、幸せの柔らかさがぎゅっとあった。
これ、これ。
これが中心という生活が、私の目指すものだって思った。

ヒトがすき。
だからこそ、ヒトが訪れたくなる家と、welcomeできるそんな場所に、オウチをしたい。
そこは、丁寧なものに囲まれていて。
美味しいものをおもてなしできる、そんな場所。

ゲストハウスとか、それを商いにするのではなく。
シンプルに、おもてなしができるそんな場所。


⑧地方の仕事がしたいと思っていて。
そして、それは東京にいるからこそ出来ることがたくさんあるって、そんなコトにも気がついた。

一つの地方にがっつり入り込むこともたのしいけれど。
東京にいるからこそ、地方と東京を繋げられる橋になれるのかもと。

例えば、地方のヒトが東京でイベントをするとなると、宿泊費や滞在費、集客や会場準備懇親会準備など、知らない土地だからこそ大変なことがたくさんあって。

東京にいるヒトがそこを担って一緒にお仕事ができるって、両方にハッピーなのかもなーって。

⑨「次はうちに来て下さい」。
旅をして、色んなヒトにお世話になればなるほど。
そういえる大切さを感じるのです。
お世話になるし、welocomeもする。
それがいいな。うん。

⑩デザインと、取材。
そのどちらかができると、出逢ったヒトを独り占めしないなって思った。
取材スキル、発信スキルってどうやって磨くんだろう。
まずは、とにかくリアルに、起こったことや思ったことを、ココロのままに綴っていこうと思うのです。

⑪そんなわけで、また「書きたい」思いが募る、夜のジョイフル。
結局鹿児島にいてもどこにいても、あるのは日常なんだよね。

 

⑫バレンタインあげてない、東京に住む友達が「日頃の感謝をこめて」ってスタバのドリンクチケットを送ってくれた。
そのさ、なんだろ想いに。なんかじんわり、泣きそうになった。
ヒトって温かい。
えーちゃん、ありがとう。。

⑬鹿児島には面白いお店がたくさんある。
魅力的な場所がたくさんある。
ああ、いいな。
そして、鹿児島いいなと思うほど。
なんだか、バルンバルンのお母さんと、そして東京にいる私の家族と、大切なヒトたちに。
逢いたくなる、そんな夜。

⑭企み力、もっとつけよう。
私は、企み屋になります。

電車で40分、バスで1時間。そして、バス停まで徒歩1時間ちょっと。

最近のゆちこをつらつらと。

①一昨日から鹿児島に来ています。
といっても、鹿児島着いても変わらずjoyful(ファミレス)いたり、スタバいたり。
生きている場所が違うだけで、生きる、暮らすという感覚は一緒なので、いたって日常が続いている、そんな感覚。

②来る前、久しぶりにぎゅーーーって、ココロが小さくなることがあって。
基本的に能天気な私が、しゅんと、自信がなくなって。
ココロを開くのも、目を見開くのも、自分を表現するのもなんだか怖くなってしまっていた。

③そして、鹿児島へ。
鹿児島に移住した、かめちゃんにタイ古式マッサージをしてもらって、こころがふんわりと柔らかくなって。
そして、昨日からは紹介してもらった、まだお会いしたことのない女の子のオウチへと、行ってきた。

④「暮らす」がそこにはあった。
薪風呂。丁寧に作られたごはん。みんなで囲む食卓。
突然来た、誰かもよくわからない私だったけど、すぐにその空間に馴染んで、自分ちかのように、ゴロゴロした。

⑤今日はお散歩して、土いじりをちょっとして。
青空の下、本を読んで。
ゆっくりゆったり、そんな時間を過ごした。

⑥結論、その暮らし、柔らかいなって思った。
そして、私のこの性格からして、それにプラスして、人が毎日のように訪れてきてくれたら、それってめっちゃいいなって、ふと帰りのバスの中で思った。

ゲストハウスでもなく、ただ、暮らし。
そして、そこで寝るところと、ちょっとしたご飯とかが振る舞えて。
みんなで夜話したりして。

長く滞在したい人は、畑とかなんか一緒に出来たりして。
なんか、そういうの。

ふと、行ける場所があるっていいなって思った。
そしてそれが、特別な場所じゃなくて、日常に近ければ近いほど、いいなって思った。

⑦とはいえ、訪れに行くのも好きなんだ。
だから、理想を大きく描くと、その両方。
この一ヶ月、訪れに行く生活をしていたら、やっぱり帰る場所がちょっと恋しい。
そして、「うちきてください」って言える、そんな場所が、恋しい。

色んな人に出逢い、自分自身で経験していくことで、ちょっとずつ、自分の笑顔が自然に溢れる、そんなハッピーが、見えてきた気がする。

⑧料理も全然しないし、片付けも得意ではない。
掃除も一緒にやるのは楽しいけど、一人だと寂しい。
結局は、全ての行動の原動力は、寂しいなんじゃないかと、思う最近。

⑨帰りバス停までずっと歩いていたら、通りかかったおじちゃんが声をかけてくれて、バス停まで送ってくれた。
あーー人っていいなってホクホクしてたら、帰りのバスの運転手さんがイライラしてた。

だから、世界って面白いんだなって、なんか思った。


⑩夜、かなちゃんと話していて。
怖いけどやりたいことって何って話になった。
私は、自分のココロをそのまんま発信することって、答えた。
だから、もっとこうやって。何もまとまってないし、ただの忘備録なんだけど。

誰のためでもなく、自分がしたいから。
もっと残していこうと、約束したから、今日は久しぶりに書いてます。

⑪このあとは、これまた4年くらい前にちょっと逢った友達のオウチにお世話になってきます◎
ほんと、みんな優しいなあ。。

こだわりはないという、こだわり。


久しぶりに。
最近のゆちこを、つらつらと。

①毎日が色んなことがありすぎて。
気がつけば、ブログに想いを綴るのをすっかり忘れてしまってた。

仕事のこと、暮らしのこと、大切にしていること、生きているということ。
人と過ごすということ、共に生きるということ。

今日、友達との会話の中で、「ゆっちのこだわりって何?」と聞かれて、これって答えられなくて。
それが、なんだかとても心に残った。

②こだわりがないことが恥ずかしいのではなくて。
こだわりがない、ということにすらこだわりがないということが、何だか恥ずかしかった。

こだわりがないことは一緒でも。
そこに、意図とかこだわりがあるかないかは、違うと思うから。


③大好きな人が、Facebookでシェアしていたことば。

ーー

【なるようになる】とは
あきらめてしまうことではなく
想像した自分に近づくこと。

山手線の車内の広告から。

ーー

想像した自分って、どんなだろう。


④今年に入って、益々色んな人に出逢い、色々な地域に足を運んでいる。
それは同時に、色々な自分に出逢い、色々な面の自分に出逢う。

情けなくて涙が出るときも、正論に何も言い返せなくて自信がまるっとなくなったりもする。
それでも、私は何を大事にしたくて、何は自分の中で曲げないで、そして何は柔軟に受け入れるのか。
それを、自分の人生として、自分でハンドルを握っているかどうかに繋がると思った。


⑤注意してもらったときに、それを受け入れる器の大きさと。
そして、自分で選ぶ強さと。
そんな自分に、責任を持つ覚悟と。

こう言葉にしてしまうと、なんだか固くなってしまうんだけど。
もっと柔らかく、そして温かく。
なんだか、そんな感じだけど、しゃんとまっすぐ一本通ってる感じ。

自信がないとつい隠そうとしてしまうけど、そんな自分の真ん中にあるそんな部分を、大切にしていきたい。

⑥すごい人になるのが目的ではなくて。
でも、ふと思い出したときに、なんだか嬉しくなるような。
なんだか力が沸いてくるような。

そんな等身大に、自分の人生を生きている、そんな人になりたいのです。
そして、そんな自分として、各々が自分の人生を、そして各々が自分の人生を取り組んでいる仲間と共に、生きていけたら最高にハッピーなんです。

⑦そんなこんなで、今月は九州にいます。
熊本→宮崎→大分→福岡→鹿児島→大分。

ちょっとずつ、ちょっとずつ。
大切にしたい生き方や考え方が、怒られても譲れないものが。
見えてきた、そんな気がしています。







共通点を見つけるのではなく、違いを楽しむ。

最近のゆちこをつらつらと。

①何度も書いているのだけれど、やはりこの前の奈良で開催されたフォーラムが、じわじわと色んな影響をくれていて。

そんな私が今感じているのは、人と向き合う、言葉を交換する、ということ。

②フォーラム前と後で一つ変わったと思うところは、話の中で「違い」に興味が湧いたこと。

なんでそう思うんだろう、そう行動したんだろう。
そこに、自分ではない人と出逢う楽しさがぎゅっと詰まっているなーとなんか、思うようになったのです。
そして、それは自分を広げてくれて、ああ、生きるって、出逢うって面白いなと益々感じる、そんな最近。

③共通点を見つけると、その人と急に近くなれる感覚がずっとあった。
同じ出身地だったり、同じような夢をみていたり。
こんな世界を作りたいということが一緒だったら、同じことをしていなくてもなんか繋がっている気がしたり。
今ももちろん、同じを見つけると嬉しくなる。
そして今は、そのうえでの、違いがあるともっともっと知りたくなる。

④例えば、自分が二人いるとして。
全く同じ思想、趣味、思考。
そんな私といるのは居心地がよいかというと、きっと◎。
でも、ずっと一緒にいたいかというと、きっと◎ではないと、思う。

⑤人はみんな違う。生まれも育ちも感じ方も。
似ている人や同じ匂いのする人はいるかもしれないけれど、みんな一人一人、違う。
それは関係が近い両親と子供であっても、兄弟であっても、双子であっても。
ましてや違う環境で育ってきた、恋人や友達などは、もう違う生き物だと思う。

⑥だからこそ、その違いを楽しむこと。
違うことは悪いわけでは決してなくて、むしろ違うからこそ広がったり、気がついたり、そういうことがたくさんある気がしている。
同じだったらつまらないもの。
そう思うと、どんな人との出逢いや時間も、その違いを楽しめれば宝物になるんじゃないかなと、ふと思った。

⑦あ、書いてて思ったのは、

同じ=良い
違い=悪い

というのが、心のどこかにあったのかもな、と。
私とその人の関係性にとって。(その人自身の人生という意味では、それこそみんな違ってみんないいと、思ってはきてたけど)
違いがたくさんある人とは、その人自身を認めてなかったかというとそんなことはなかった(と思う)けど、自分とその後関わるかとか、私とその人の間には、違うということは違うということで、向き合ったり、もっと知りたいみたいなのはなかったんじゃないかなーーと。。


⑧そんなわけで、今は違いに興味がある。
人と話すということ、出逢うということ、お互いを知るということ。
まだまだ、面白い世界がたくさんありそうだなあ。。


⑨人と時間を過ごすということ。
その中にはいっぱいの発見があって、もっとそれを分かち合いたいなと思う。
うん、こんな考え方もあるんだ、生き方があるんだ、そういう世界を私も先輩方にたくさんあるよって教えてきてもらったからこそ。

私はやっぱり、机の上のリンゴ農家になりたいなと、そんなことを思うのです。