@こころのブログ

日々の心のいろいろを、出来る限りその色で綴るそんな日記。

@ゆちこの日記

2年間、365日が、2回。

最近のゆちこをつらつらと。

Facebookを開くと、「2年前の投稿」を教えてくれるサービスがある。
そして、昨日ふと開くと、2年前に、僕らの家の下見で岩殿山に行ったときの投稿があがっていた。

②正直、あのときからまだ2年だということに驚いたし、
あと27回こんな2年間を過ぎたら、平均寿命になるんだなと、ふと思った。

いや、にしても、濃い2年だなーー。
2年前の自分が、あのとき山を登っていた自分が、今の自分を想像出来ていただろうか。
それは、もうはるかにはるかに、想像を超えているのだと思う。

③いつも人生に迷ったとき、指針にしていることがある。
高校時代の自分に、今の自分は誇れるか、どうか。

もっと出来るよ、という声も聞こえてきそうだし。
意外に面白く生きてるじゃんっとも、言ってもらえる気もする。

でも、やっぱり。
あのときの、自分にはどうしても敵わないんだよなあ。

いつも、ライバルであり、指針となるのは、高校時代の自分なのである。

毎日がキラキラしていて、考えることもないくらい、笑ってはしゃいで泣いて動いて。
そんな、自分が今も憧れの存在でも、ある。

④また、新しいことをはじめるタイミングがやってきた。
恐れがないといったら、嘘になるくらい、ドキドキもする。

でも、きっと当時の自分が見たら、これをやると決めた自分を、
「いいね!」と言ってくれるような、そんな気がする。

⑤今日は、マヤ暦でいう「時間を外した日」。
年に一度の「時間から解放された一日」という、特別な日らしい。

ゆっくり、のんびり。
あらためて、これからの毎日を、丁寧に見つめてみようと思います。

都市側コーディネーターという、魅力。

最近のゆちこをつらつらと。

①あれ、気がつけばまた1ヶ月近くが経っている。
毎日色んな事があったり、なかったり。
でも、先週また一つ、大きい転機があったので、ここにも記しておきたいなと思う。

②巡りの環の、信岡さんという方にお会いしたい。
久しぶりに、お会いしたいな、お話してみたいな、という方の存在に出逢った。
いなかセンスと、とかいセンス。
ああ、聞きたいことがたくさんあるなあ。。

③なんだか1ヶ月、のんびりのんびり過ごしていて。
DVDを見たり、ゆっくりしたり、ぼーっっとしたり。
それはそれで、幸せだなーと思ったけれど、充実している感じとはまた違って。
そして、そんな時間の中で、自分のやりたいこと、ここから進んでいきたい方向、勉強したいことを、自然と考えることが増えていった。

④自分なりに、得意なことは、なんでもまあまあ出来ること、だと思っていて。
どれもプロではないけれど、なんでもまあまあ出来るというのは、一人いると役立てるのではないかと思っている。
その一方で、何か専門的に役立てるものがあったらいいのになーと思うことはあって、
そんな矛盾するような、現実と理想のギャップを感じることもよくあった。

⑤そんななか、前にやっていたキャンプもそうだし、今いる森もそうだけど。
好き!と思えるものに出逢い、その中で何か出来るのではないか、と思っていた。
企画するのも好きだし、企むのも好きだし、少しだけど広報も出来るし。

でも、それはあくまで出来ることであって、得意なこと、ではないということにハっとした。

⑥もちろん、ある程度の時間、その中に入って技術を磨いたり、その中の人間になったからこそ伝えられる事があるという、特異性はあると思う。
だけど、例えば「キャンプのプロとして、この事業を支えて発展させていきたいか」というと、その答えはNOなのである。

前回のときも、そこの方向性の違いは大きいよねって話になった。
私は、キャンプのプロになりたいのではなくて、心から好きなこの会社、この事業を、「こんなのあるよーー!」って、世の中の人に選択肢を増やしたいだけだったから。

そして、それって別に中にいなくても出来るし、
逆に、中にいないからこそ出来ることってあるよなって思って、キャンプの仕事を離れる決心をした。当時。

⑦今私は、地方に興味がある。
そしてその中で、ある地方を盛り上げたいかというと、そこには心からのYESはないよなと、思う。

それよりも、その地方を盛り上げたいと思って活動している人を、紹介したい。
そして、今後都市の人へ紹介したりするときに、都市にいるからこそ、役立てることがあるんだと思う。

⑧昨年、鹿児島の地域活性のツアーに参加した。
そのときに、その代表の方が「東京のどこにアプローチしたら、地方に興味がある人に繋がるのかが分からない」と仰っていた。

また、東京でイベントをやるときは、集客、当日スタッフ、懇親会、事前準備など、色々な行程があって。
それをその地方からやるとなると、やっぱり簡単でないことも、お金がかかることもある。

だからこそ、都市側のコーディネーターとして、そこのオーガナイズをしたり、その地域の人が気持ちよく仕事が出来たりするような、そんな仕組みが出来たらいいなと思った。

 

⑨そのために、自分は何ができるのだろう。
まだまだ勉強することもたくさんあるし、出来ないことが多いから、失敗を重ねながら積み重ねていく段階なんだと思う。
出来ることが少しずつ増えてきた今だからこそ、出来ないことにまた1から挑戦するのはちょっと勇気がいるけれど、それが出来たらいいなと思う。

⑩その結果、大好きな人たちが心をこめてやっていることを、誰かの人生の選択肢にふやせたら、こんな嬉しいことはないんだよなあ。

私はやっぱり、人生の選択肢を増やすことに、胸がドキドキしたり、ワクワクしたり、なんか自分が嬉しかったりするんだよなあ。

⑪そんなことを思うと、自分の価値をあげることは、自分の周りの価値をあげることにもなるんだよなと思う。
ちょっと背筋が伸びて、甘い自分に活が入る。

31歳にして、また新しい挑戦が始まる、そんな予感がする。
そして、それは一人では全然できないことで、たくさん助けてもらうことがあると思う。

それでも、私は選択肢を増やしたい。
正解はないからこそ、選択肢を増やすことが、より納得して生きる人生に繋がると信じているから。

戦う強さではなく、守れる強さが私はほしい。

最近のゆちこをつらつらと。

①ここ最近、なんだか色んなことがあった。
そして、やっぱり「人と人との関係」ここに尽きるなと、そんなことを思う。

今日、友達(という言葉でくくるのは違うんだけど、分かりやすいのでこの言葉を使用)と久しぶりに電話で話して、ふと自分の口からでたのが、この

「戦う強さではなく、守れる強さが欲しい」

という言葉だった。

誰かをやつけるとか、蹴落とすとか、そういうことに使いたいから強さが欲しいわけではなくて。

大事な人を、いざというときに守れるような。
そのための強さが欲しいだけなんだ。

優しいだけでいるのはとても簡単で、もちろんその優しさに癒されることで前進できることもあるわけで。

そして、私は今、大切な人を守れる強さを身につけたい。
それが、自分の信念。

こだわりのない私の、唯一の信念かもしれない。

そしていつも、人生の転機に必ず電話で話している、そんな友達の存在の大きさに胸が震えた。すげえや。
ありがとう。


②2週間の旅を終えて、九州の森に帰ってきた。
最終日は自分にご褒美、一人でお部屋に温泉がついているとこに宿泊。
そこで、この旅と、そしてこの2015年上半期の振り返りをした。

一人でのんびり、お風呂でじっくり。
なんだかそんな時間がまた一つ、下半期に向けてシャキっとさせてくれた。

自分にお金を使うこと。
ついつい、人や他のことを優先してしまうけど、自分を大切にすること。

なんだかそんな時間が、生きる幸せを一つ教えてくれるんだなと思った。

そして今日、大好きな人と食べたカップラーメンがとても美味しすぎて、高い安いだけではなく、両方知った上で、自分のその時の心地よいを選べることを大切にしようと思った。

 

③変化がすごい。

ものすごいスピードで変化が起きている。
大事な人を見失わない。
それだけを大切に、この変化にゆるゆると、そして直感に従って、流れてみようと思う。

きっと、また新しいスタート。
今までの色んな出来事が土台だったと思うくらい、今、まさしくスタートが切られた。
そんな気が、なんだかとてもするのです。

この夏は、面白いことになるな。
うん、なる。

ドキドキ、そわそわ。

なんだか今日朝、自由だなって思って胸がドクンとなった記録。

ゆちこの最近をつらつらと。

①現在東京〜九州を車で移動中。
今日で10日目かな、10日かというと短い気もするけど、今回は全部で2週間くらいの予定で、そうすると1年間の24分の1ってこと。
そう思うと、なんだかすごいな。

一週間は48分の1。
ということは、1年間ってすごい長いように思うけど、じつは月曜日って50回くらいしかないんだよね。

改めて、一日一日を大切に過ごそうって、なんかそんなことを思った、今。

②そして、この旅はキャンプかゲストハウスに宿泊しているのだけど、今日の朝目覚めたときにふと「あ、なんか自由だな」って思った。

それは、旅をしているからとか、そういうことじゃなくて。

やりたいこと、欲しいもの。
そういうものに出逢ったときに、「工夫」さえすればいいんだなって思ったから。

「出来ない理由ではなく、出来る理由を考えよう」
って本とかでは読んだことあるけど、この「出来る理由を考える」ってものすごいクリエイティブで、そしてそれは企みであり、工夫であるなと、そんなことを感じた。

だから、やりたいことが出来ているから自由とか、そういうのとはまた違くて。

やりたいことがあったら工夫できる、それ自体が私の楽しみであり、喜びであり、大好きな「企み」なんだなと思った。

だから、ものすごいものすごい、自由だなって思った。

ああ、日々企んで生きる人生。
これ、すんごい好きで、心がときめく。

ドキドキ、そわそわ。


③最近、周りで色んなことがあった。
私も初めて切符を切られたり、こんだけ色々続くと、何かが違うというサインじゃないかとも思ってくるくらい、なんかそんな感じだった。

で、昨日の夜久しぶりに、ちゃんと仕事をした。
そしたら、すごいスッキリして、とてもとてもいい感じの朝を迎えた。

旅は出逢うし、大好きだけど。
今の私は、仕事(生産する)ことが好きなんだと思う。

そんなことを考えてたら、仕事って自分を周りや世界に活かすことだなって改めて思い出して。
ふと、ちゃんと自分を活かしきりたいって、そんなことを思った。

自分が生まれてきて、そしていつかは死ぬわけで。
一つでも、少しでも、世界が柔らかく、温かく、そして嬉しくなったらいいな。

そしてそれは、自分をまっすぐ生きること。
嘘つかず、心からの自分で、毎日を生きること。
そして、毎日や人生を企むという、仕事をしていくこと。

「元気でいること以上の仕事はない」

そう、身体を壊したときに思ったけど、まさしくそうだと今改めて思う。

どういう状態が自分にとっての「元気」なのかは、人それぞれ違うと思っているけれど、
私にとっての「元気」は、まっすぐに、大好きな人をちゃんと大切にして、自分の気持ちを偽らないこと。
そして、空を見上げて、美味しいご飯を食べて、にこにこっと眠る事。
自分をその日、世界に活かしきること。

そんなことを、ふと思った。

④企むというと、大きい感じがするけど。
基本的に、そういう私の幸せは、日常にある。

そして何より、まだまだ人間を楽しんでいるから、怒ったり泣いたり拗ねたり、面倒くさく愛らしい自分もたくさんたくさんいる。
腹黒い部分ももちろんたくさんあるし、なんか人間らしくて笑っちゃうときもある。

たまに「いい人」と言われることがあるけれど、それ本当に勘違いで。
きっとそれは、「いい人だと思いたい」という、相手の視点なわけで。

それはそれでいいんだけど、いい人だと思っている人とは、きっとその程度の関係しか築けていないんだと思う。
それはそれでいいんだけど。

これからますます、私は自分を生きていくと思う。
そして、そう生きることで生まれること、失うことにも、覚悟が出来た。

「どんな自分でも絶対に信じてくれる人がいるから」
なんて分からないけど、それよりも
「どんな自分になっても、大好きな人、大切な人だけは見失わないようにしよう」
と思う自分がいるから。

そういう、大事な羅針盤があることが、そういう人がいてくれることが。
きっとこれまで歩んできたことの、自分へのご褒美と、準備なんだと思う。

自分を生きることに正解はないけれど、まず思ったようにやってみて。
そして、その大切な人達から、「それどうなん!?」って言ってもらえたら、そこはちゃんと振り返ろうと思う。

自分を生きること、その中に大事な人達がいるから。
私にとって、そこはすごい大きくて、大切なことなんだ。

⑤何か「む!?」って思うことがあって。
それを、「ああ変わってしまったんだ」と思うことはとても簡単。
「そういう人だったんだ、信じてたのに」と思うことはもっと簡単。

でも、そのときに、「ちょっとそれどうなん!?」って言える、言ってもらえる関係を築けていたかどうか。
それが、大事なことだと思っていて。

その結果、ああ、その考えは今は合わないね、ってなるかもしれない。
でもそれは、相手を勝手に諦めていないということ。

一番悲しいのは、そうやって勝手に諦められる関係なこと。
だからこそ、広く多くはもう無理だけど、勝手に諦められない人との関係を、どれだけ大切にしていくか。

それは一緒にいることでも、頻繁に連絡を取り合うことでもなくて、
なんか心と心の問題だと思うのです。


そして私は、今まで基本的には「嫌われたくない」という、薄い薄い関係を築いてきたからこそ、これからは多くなくていい。


どれだけ、喧嘩も出来る人を大切にしていくか。
ちゃんとモメられる人との関係を築いていくか。

それに尽きるなと、そんなことを思うのです。


 

人間を幼稚園児から、もう一回。

最近のゆちこをつらつらと。

①東京に帰ってきて約3週間。
とはいえ、その間も山梨や名古屋、そして色々なイベントがワラワラで、なんだか東京を感じる瞬間はそんなに多くなかった気がする。

でも、逢いたいから逢いに行っていい?と車を飛ばせば逢いたい人がいてくれる、この環境はやっぱり私のホームだなと、そんなことを思った。

②「ただいま」の場所があること。
「おかえり」と行ってくれる場所が複数あれば、人は恐れが少なくなるんじゃないか。
そう思っていて、そういう生活をしてきた。
その結果、(今の段階では)それは「そうだ!」という部分もあるし、「それだけじゃない」という自分もいた。

だって、やっぱりその場所にいる人は違うから。
執着じゃないけれど、でもやっぱり失いたくない、という気持ちは、少なくなっても(私にとって)消えるものではないなと思った。

離れていても、家族は大切。
そして、そんな大切な存在が増えていく、それは嬉しいことであり、恐れが減るというわけではなくて。
むしろ、喜びも増えるし、いつしか失うということを考えると、悲しみも恐れも正直増える。

そして、それが多いことって、なんだか生きている喜びなのかもしれない。

逢いたいなと思う人がいること。
逢いたいと思ってくれる人がいること。
逢えたらすんごい嬉しい人がいること。

自分一人の人生が、誰かの人生と交わること。

そこに、色んな色やトキメキ、ドキドキがある。
人と出逢い、人生が交わっていくということは、思っているよりも私の人生の真ん中にあるんだと思う。

③明日から、のんびり車で九州を目指します。
今回の旅のテーマは、直感に従うこと。
自分を偽らないこと。

なんだか元気が出ない今の気持ちに正直に、じっくりゆっくり、この気持ちと一緒に色んなものを見たり、出逢ったり、語ったり、していきたいな。

④私はとても単純だから、小さなことで幸せ満タンになるし、ちょっとしたことで、ずーんと涙が溢れる。
でも、なんだか前よりも、涙の回数も、怒る回数も、そして心から笑う回数も増えたと思う。

私の尊敬する人が、前に言っていたこと。
「私はまだまだ人間一年生だからー!」と。

私はきっと、幼稚園児。
そんな所から、今改めて「人間」をやり直しているのかもしれないな。
泣いたり笑ったり、心が今どんな状態でも、その自分にニコっと笑いかけること。


そんなことを、ふと思った。


⑤あ、この旅。
なんだか、とても自分にとって大きいものになる、そんな予感が今やってきた。
こういうときは、大体、そうなるんだ。

ドキドキ。楽しみ。

春って、いいよね、から2ヶ月。

春っていいよね。
なんて言ってたと思ったら、もう夏で。

全然ブログを書いてなかったけど、久しぶりに書いてみます。
どんな風に書いてたか忘れちゃってるけど、今のまま、こころのままに。

①「分からない」こと

気がつくと、「分からない」と言っていることが多いように感じる。
何がしたいのか、どうしたいのか。
それは、フタをしているのではなく、本当に文字のように「分からない」のだ。

自分が考えていること、それは自分の考えなのか。
心で思っていること、頭で思っていること、それは何なのか。

この先どうしたいと思っているのかも、思った瞬間と、口に出す瞬間には確実に「ズレ」があって。
そうなると、もう言葉に出す瞬間に、その「〜したい」や「〜なりたい」などは、全て【過去】になってしまっている感覚がある。

そうなると、もう。
「分からない」のだ。本当に。

②先日私の話を聞きにきてくれた子に、こんな質問をしてもらった。
「この先のこととか、不安になることはないんですか?」と。

ない、と言えば嘘になる。
でも、きっといつかの「この先」のときには、きっとどうにかなるだろうし、ならなくても、どうにか「している」と思う。

不安だから、こうしようという選択肢はあまりなくて。
それは、あるヒトからしてみれば無計画だと思われると思う。

でも、そうやって生きてみるヒトがいてもいいんじゃないかなと思う最近。
そうやって生きてみた結果、やっぱり先のことは少しは考えた方がいいっていう結果になったら、それはそれで、この生き方を通した実験としては大成功だったと思うから。

③毎日が実験

日々色々な生き方の実験を行っている。
暮らし方、働き方、考え方。
その中で、自分に合うと思うものもあるし、失敗だなと思うこともある。
でも、それはそれで、その実験は自分の人生にとって合わなかったということが分かる、成功なのだ。

毎日が実験。
そう思うと、中途半端ではなく。
もう、思いっきりやり抜いたほうが、得だと思う。
目の前の損得なんて、小さいものを超えて。

(そしてもはや、損得を考えないという実験ならば、その観点もなくなるのだ)


5月までの実験はかなり面白い結果になったから。
6月からはまた、どんな実験をしようかなと、今むふむふ妄想中。


④私には今、ストレスを感じることが何もない。
(正確には、ほぼほぼ、ない)

でもそれって、自分の幅をちゃんと広げられているのかな、とたまに思う。

フリーランスでお仕事をさせてもらって、おかげさまで楽しく毎月生活出来ていて。

お金がほっとんどない状態もたくさん経験している私からみたら、お金のことを考えずに毎日過ごせるこの毎日が、請求書に落ち込むことがない月末が、なんだか奇跡みたいに思うときもある。

ただ、これまた贅沢な悩みだけど。
自分の出来る範囲のこと、得意なことがお仕事になっているからこそ、新しい才能や、可能性が広がっているのかなと思うときもある。

そんなわけで、色んな仕事をちょこちょこと。
これまた企みつつ、可能性を広げていこうと思っている最近なのです。

⑤そんなわけで、更に輪をかけて、ゆるゆると生きています。
その瞬間好きと思ったこと、ワクワクすること、なんだかピンとくること。
それに正直に従ってみるという、実験もしています。

だからこそ、見えて来たことがあるし。
だからこそ、迷惑をかけていると感じるときもある。
(周りはこの気分屋の私に大変さを覚えていることも、何となく気がついている)

でも、それでも。
今回、この命。
やっぱり色んな実験をして、その中で、喜怒哀楽、色んな人間らしさ、人間くささを味わって生きたいなと、そう思うのです。


⑥「好き」という気持ち。
この数ヶ月は、大きい出会いがあって。
それと同時に、好きな人で手一杯な自分がいる。

今までは、「みんな」に好かれたかったし、「みんな」を意識していたけれど。
最近は、「みんな」に興味がないし、好きでない人にも、てんで興味がない。

だからこそ、好きな人と、まっすぐに。
仲良くいることを目的とせず、出逢えて、一緒のときを刻めるという奇跡に、思いっきり自分を出して、モメても泣いても、拗ねずに自分であり続けたいなと、思うのです。

きっと、「ただの友達」はどんどんと減っていく。
そして、だからこそ、大事な人を大事にする。

そういう生き方を、私はしたいんだなと、この数ヶ月でまた思った次第です。

⑦ああ、久しぶりにブログを書いてみて。
やっぱり好きだなーーーーと、思った次第でやんす♡

春って、いいよね。

最近のゆちこをつらつらと。

①春ですね、春。
そんなわけで、こんなに天気がいいからさ。
勝手に「お花見休暇」と名付けて、ゆるゆるお散歩しています。
うん、ゆるゆる。

そしたら、なんだか幸せで、涙がぼろり。

②ないものなんて、たくさんあるのかもしれない。
でも、なんだかそのとき、思い煩うことが何一つなくて。


今、何をしていても。
もはや、何もしていなくても。
なんか、その時しかなくて、それが全てで、幸せで、ほろり。

③春は色んな色があるから、いいよね。

④あ、今日全然書きたいことがないや。

⑤そんな今日を、残しておきます。まる。