@ゆちこのブログ

ゆっちのいろいろを、出来る限りその色で綴るそんな日記。

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「与える」から「共有」の時代へ

最近のゆちこをつらつらと

 

①あっという間に1月も3日が経過。
このお正月はのんびりしたり、本を読んだり、逢いたい人にあったり。
去年ないがしろにしていた「自分の身体と心を慈しむ時間」をたっぷり取れた。
特にゆっくりお風呂に入ったり、山をのんびりお散歩したり、佇んだり。
そんな時間が持てることは、身体を軽やかに、素直にしてくれるんだと思った。
 

②自分の(こっそりとした)特技として、おじいちゃんとお話が出来るということがある。
おじいちゃんはもう他界をしているのだけど、心の中で話しかけると、おじいちゃんとお話が出来るのだ。
勘違いかもしれないけど、私の中でははっきりと、そう「お話」しているのだ。
 
③そして、そんなおじいちゃんの言葉を友達に届けることがある。
昨日友達に言葉を届けたときに出たのが

「与える」から「共有」というキーワード。

 

2016年、世界は大きい転換期を迎える(らしい)。
そのときに大切なのは、一人一人がどんな心の色をしているか。

何をしているのか、ではなく、どんな心の色をしているか。
それは、何もしなくていいんですよ、というわけではなくて
やりたいならやればいいし、やりたくなければやらなくていい。


ただ、一番あなたの心があなたの心地のいい色で
エネルギーを帯びる、そんな時間と瞬間を生み出していくのは
あなたの仕事です、と。

そして、世の中の常識ががらっと変わったときに。
残るものは、「与えたもの」ではなくて「共有したもの」。
 

④自分の中で「与える」=正解 と思っていた部分があったのを
おじいちゃんの言葉ではっとした。
そして、「共有」っていいなって思った。
「与える」って結局は共有なのかもしれないけれど、
なんだかえらそうな感じがちょっと私はしていたのだ。
 
でも、共有って平等。
一緒の時間を共有すること。
お金を、気持ちを共有すること。
感動を共有すること。
分かち合う、と一緒なのかもしれないけど、
共有という言葉がなんだかとっても、今の私にしっくりくるのだ。
 

⑤死にたいわけではないけれど、生きることに執着があるわけでもなかった私。
やりたいこともないし、何を手にいれても、未来にワクワクすることが正直あまりなかった。

でも、共有ってちょっとワクワクする。

「一緒に」という言葉が好きな私の身体の真ん中にあるのは
「人とたくさん共有をする人生を送りたい」ということなのかもしれない。

生まれた気持ちを共有する。
友達の人生で起きていることを共有する。
リアルタイムの、ドロドロとした感情や状況を共有する。


共有は、「共有される」っていうする、されるがない感じが好きだ。

⑥っとここまで書いていて、
ああこれって「聞く」と「話す」にも似ているのだと思った。

そして、一人の友達の顔が浮かぶ。
そんな風に、今の自分の気持ちをまっすぐに共有したい人がいるって
なんだか、心が嬉しいな。