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最近ふと思い出したことをつらつらと
①今から5年くらい前、私は心と身体の限界を知った。職場で涙が止まらなくなり、貧血も相まって動けなくなり、しばらく休んだほうがいい、と早退させてもらったあの日。夜に店長でもある友達が家にきてくれて、あまりの私のやばさ加減に「今から車で送るから東京の実家に帰ろう」と言ってくれた、あの日。
②当時私はその仕事が大好きで、販売という仕事の魅力を知り始めていた。好きなものを知ってもらうことが大好きで、売れれば売れるほど大好きな人たちが喜ぶ世界。でもちょっと歯車がずれただけで、全く力が入らなくなってしまったのだ。
③久しぶりに両親が遊びにきて、私の変わりようにびっくりしてそのまま大きい病院へ連れていかれた。とりあえず元気が全くなかった私は内科に連れていかれ、血液やエコーなどいろんな検査を受けた。そして、先生から言われた言葉は「身体に異常はないですね。過労かと思います」
④その言葉を聞いたとき、私はわっと大声で泣いた。身体に異常がなかったからではない。先生に「異常があったほうがよかったです。これで身体が大丈夫だったら、どうやったら治るのか全く見えなくなってしまいます」と泣きながら伝えた。
もう心も身体も限界で、それが手術をすれば治る、という病気だった方が希望があった。どうやって回復したらいいのか、と帰り道ずっと泣きながら途方にくれた。
⑤そんな姿を両親がみて、「おうちに帰っておいで」と言った。お母さんとお父さんのあんな悲しそうな顔は初めてで、私は両親を悲しませてしまっていることがまた悲しくなった。
⑥とりあえず過労ということで、3日間くらいお休みをもらえることになった。とはいえ、寝て、おきて、自分を責めて、寝て、の繰り返し。いよいよ明日から仕事に復帰というときに、このまま復帰しても何も変わらないと不安がぐっと押し寄せた。
何か変えなくちゃ、何か変えなくちゃと思った私はネットで精神内科を調べ、電車でいける範囲の病院にかたっぱしから電話をかけた。たぶん8、9箇所くらいはかけたと思う。そして全てにおいて言われたのは「初心は一ヶ月半後が最短です」ということ。
⑦一ヶ月半もこの状態でいられないです、と電話をしながら涙が止まらない私。でも今も待っている患者さんがたくさんいる、と言われてしまう。最後の病院にも同じことを言われたあと、愕然としたのを覚えている。どうすればいいのだろうか、と。最後の砦だと思っていた病院に今行くこともできない私は、もう生きて行くのがしんどい、と思った。
⑧すごいすごい幸運だったことがある。私のダメな部分も全部をひっくりめて知っていてくれる、お父さんのようなお兄ちゃんのような、同級生のような家族みたいな友達がいたことだ。わけもわからずその友達に電話した。昼間の時間だったけど電話に出てくれて、ただただ私のパニック状態の話をきいてくれた。
結果、その電話があったからこそ今の私がいる。
⑨この話にはいろんなエピソードがあって、思い出すだけで涙がやってくることがたくさんあるんだけど、私は本当に職場の人にも周りの友達にも家族にも恵まれていることを知った出来事でもあった。そしてその時に決めたこと、それは「私の仕事は元気でいることだ」は今も私の大事な指針になっている。
⑩というわけで、もしもし私の友達で、もうどうしようもなくなったときがあったら、ぜひいつでも電話してほしいなと思う。私もその一本の電話で救われたから。
ふっと思い出したので、つらつらと。
人生にはいろんなときがあって、嬉しいも悲しいも辛いもやまほどあって、それでもなんで生きているのか、生きていくのかは正直答えはわからないけど、生かされているなら精一杯生きようとは思う。
「ゆっちはいつも元気だね」と言われることが多かったし、元気でいることが自分のアイデンティティでもあった。でも元気じゃないこともたくさんあるし、そのうえでやっぱり元気でいられる存在でありたい、とも思う。