@ゆちこのブログ

ゆっちのいろいろを、出来る限りその色で綴るそんな日記。

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2016年3月の振り返り

最近のゆちこをつらつらと。

 

①2016年3月は「眠り月」。

もう、びっくりするくらい。
3月は寝ていたと思う。
寝るというのはとても便利な行為で、言うなればある一定の時間を超えた分の睡眠は、生きると死ぬの間にあると思う。
そんなわけで、私は3月は思いっきり「生きる」ということから逃げて、寝るというある種一つの逃げることをし続けたのだと思う。
当時は体調が悪いと思っていたけれど、実際それはどっちでもよくて。
そう、つまりは半分以上生きていなかった、そんな時期を過ごしていた。
 
②何からそんなに逃げたかったのか。
「コレ」というものが分かりやすくあればいいのだけど、贅沢な私は特には思いつかず。でも、「〜したい」という欲求がふっとゼロになってしまったのだ。
逢いたい、食べたい、知りたい、笑いたい、なんかそんな「〜したい」という生きるエンジンになるものがスカスカっと全てガス欠をおこしてしまったような、そんな感覚になった。
こんなにも生きるについて考えたのは久しぶりな時間。
そして、全てが逃げ姿勢だった私は色んなことから逃げていた気がする。
それは面白くなく、嬉しさも悔しさも、喜怒哀楽がないということを知った時間でもあった。

③そんな一ヶ月を経て、何かを得た!みたいなのもなく、相変わらず毎日を淡々と過ごしている。
こんな無気力な時期が、いつか「そんなときあったよね」となり、「あのときのおかげで今がある」となるのだろうか。
なってもいいし、ならなくてもいいか。
そんな感じで、小さい幸せにニコニコしながら、今日を終えようとしている。


④私の周りはコーチング体質の人が多いからこそ、「すごい可能性がある人」としてその人を扱うセンスに溢れている人が多いと思う。
そして私もそんな気がして、そんな自分として毎日何かを目指していた気がする。
意外に完璧を求める私はいつしかそんな理想の自分を基準として、自分を置いてきぼりにしていたのかもしれないな、とふと思った。

⑤すごい可能性がある人でもあり、平凡な一人の人でもある。
好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
挑戦することが好きなときもあるし、のんびりが好きなときもある。
自分はこうだ!みたいなのがないなら作ろう!!と意気込んでいたときもあるけど
その反動がガーンとくることもある。
人を大切にしたいと思っているけれど、意地悪い気持ちになるときもある。
そう、もうどうしようもなく人間なのだ。
そしてその人間として、今日も明日も生きていくのだ。

 

⑥とはいえ、弱い自分をベースにしたくないというプライドと意地みたいなものもある。こんなもんじゃないぞと、やっぱり思っている自分もいる。
なんて面倒くさいけど、これが今の私なのである。

⑦友達は少しでいいという考え方をしている人に憧れるけど、新しい人と出逢うことにココロが踊り、芽吹く。
目の前のことを大切にする人と一緒にいると穏やかな気持ちになるけど、新しいことに目をキラキラさせて飛び跳ねている人といるとわくわくする。
じっくり丁寧に作られたご飯に感動するけれど、時間ないー!わー!と友達と食べる牛丼も美味しいなと思う。

理想と現実と自分のココロ。
どこかで正解と思う世界観に向かおうとしてしまうけど、このへっぽこで飽きっぽくて感情の波が激しくて、一人のオトナとして恥ずかしいところばいっぱいな私が、今現在の自分であり、もうそれは偽りなく、私であるしかないのだ。

今からの自分は、目指す方向へ変えていけるけど。
まずは、この今の自分を認めることから始めてみよう。

⑧あれ、ふと読み返すと落ち込んでまっせーみたいな感じになってしまっているけれど、美味しいもの食べて、お茶飲んで、仕事して、音楽聞いて、友達と話して、ニヤニヤして、家族がいて、今日も私は幸せみたいです。