@こころのブログ

日々の心のいろいろを、出来る限りその色で綴るそんな日記。

@ゆちこの日記

背中の翼が羽ばたいているか

最近のゆちこをつらつらと。
 
①新年が明けてから、一つ変わったことがある。
それは、仕事の時間がぐっと増えたということ。
 

今までは、いかに働く時間を少なくするか、効率よく働く時間を減らすか、といいうことになんだか時間と頭を使っていた気がする。
でも今、仕事をしている時間が楽しくてしょうがない。

それは「何をしているか」ではなくて、「どんな気持ちでいるか」を大切に出来るようになったからかな、と思う。
仕事を丁寧にしている時間は、効率を考えているときよりも心が穏やか。
「工夫」は時間を短縮するためでなく、よりよいものを生み出すことに使いたいんだ、という自分を新しく発見したのです。
 
丁寧に仕事の時間を紡ぐと、心の中の黒いごちゃっとしたものが減っていく。
中途半端にやっていた「どうしよう」がちょっとずつ減っていく。
それは「ふうー♡」っと一息ついたときの、心の穏やかさに繋がるのだと思った。
 

②「友達」という定義について

ある「友達」の活動をFacebookでシェアしようとして、書き出しのところで止まる。
「友達の〜」という言葉の違和感が生まれたのだ。

親友という言葉もしっくりこないし、仲間ともなんか違う。
友達とざっくりくくるとそうなんだけど、広いその「友達」でくくりたくない気持ちもある。


親友でないし、仲間でもない。家族でも兄弟でもない。
そして、
親友であり、仲間であり、家族であり、兄弟でもある。
そんな存在である彼は、一言で言うと「同士」なのかなあ。

友達、とまるっとくくるにはもったいない。
うん、そんな感じなのかもしれない。

「友達」「家族」などは、2人の間にあるものでなく、上からみた2人の位置づけみたいなものに感じる。

でも、私にとって大事なのは、自分とその人との間にあるもの。
それは流れる空気だったり、目に見えない安心感だったり、この人好きっていう、カタチのないもの。
この人はこうだとか、こうに違いない、という期待でもなくて。
まさか!そうきたか!となっても、笑っちゃうような、そんな言葉にならないものなんだろうなあ。

でも、一番分かりやすいのは「友達」なんだろな。
インスタントだけど、嫌いじゃないしな、友達ということば。むしろ好きだしなあ。


③久しぶりに夜テレビを見た。
テレビ=悪、みたいなちょっと流れがある中で、のんびり、ただただ
ソファに埋もれながらテレビを見た。

ネットって、基本的には検索して情報を取りに行く。
だから自分の興味があることは深まっていく。

一方テレビって、そんなの関係なく向こうから情報がやってくる。
まったく知らない国のことを知れたり、興味なかったドラマに出逢ったりする。

そして、そうやってのんびりする時間が至福だったから、
なんか、幸せとか豊かさって、ほんと何をするかではないんだなと思った。


④自分の心の色が今どんな色をしているのか。
そして、背中の翼はぐーっと開いて、ばっさばっさと羽ばたいているのか。

心と、背中。
このバランスが取れていることが、私にとっての心地良いなんだと思う。

どちらかに偏りすぎず。
両方の自分を大切に。

 

2016年がはじまって1週間。
色んなこしょこしょ話が頭の中にいっぱいです。