@こころのブログ

日々の心のいろいろを、出来る限りその色で綴るそんな日記。

@ゆちこの日記

ただいま、じぶん。

最近のゆちこをつらつらと。

 

①ただいま、東京。
なんだかんだと、1ヶ月ぶりに。
東京へと帰ってきた。

東京に着いたときに、腰がこれほどまでに...!というほど痛くなって、
ひーひー言いながらおうちへ帰ったのだけど。
家族の優しさにじんわりしたら、腰が柔らかくなっていた。
(と、ともに、きっと運動不足が原因だと思うので、そこは頑張ろう)

いつも東京に帰ってきて思うのは、
東京が好きということ。

私が生まれ育った土地であり、家族がいて、逢いたい人達がいる。
一番見慣れた景色は、家の前の坂道だし、駅までの山道。

色んな場所に行くのも、人を尋ねるのも好きだけど。
「ただいま」と言える場所は、東京にもあるのだ。

 

②この1ヶ月はまた、色んなことがあって。
なんどもブログを書こうとこのページを開いたのだけど、全然指が進まず、
そのまま閉じることが何度も、いや何度も何度も何度もあった。

そして、昨日その理由が分かったのだ。
私は最近、心の扉をぴったりと閉じていたのだ。
無意識に、びしっと閉じきっていて。
頭と口と、身体全体ではなくて、本当に上の方しか使っていなかったのだ。
 
③人と話すことに、なんだかワクワクしない。
そう思っていたのは、自分が頭だけで話をしていたから。
「どうすればいいのか」「こうなったらどうしよう」など、自分の身体は全然動かしていないのに、あれやこれやと、頭と口だけで会話をしていた気がする。
実際に動いて感じている生の話はそこにはなくて、頭でこねくり回した空想の世界の話がそこには溢れていた。

一言でいうと、ものすごい甘えていたのだと思う。

④昨日大切な友達に、久しぶりに逢えた。
そこで彼女が、「流れにのったら真剣に取り組む」と言っていた。(たぶん)
帰りみちに、私はなんの努力もせずに、流れを待ち、流れがやってきても、そのあとも誰かがどうにかしてくれると、そんな風に最近思っていたのだと思った。
真剣に取り組むことを否定して、ゆるゆると身を委ねるという言葉を言い訳に、盾にして。 

 

私自身は、なんにも取り組んでいなかったのだ。

 

どっちが正解というわけではないけれど。
「自分がどうしたい」「それにむかって行動する、真剣に」ということを、ここから改めて大切にしたいなと、そんなことを思うのです。
人の意見に左右されたり、評価に一喜一憂したり。
それは、自分が何かに向かっている感覚がないからおきるのであって。
まっすぐに、自分の大切にしたいこと、ひと、ものに向かって、今日の自分が出来ることをやり尽くして、眠りにつきたい。

いまさらと、恥ずかしくもなるけれど。
でも、今ようやく気がつけたのだから、今から、今から。
 
甘えるのが悪いわけではなくて。
自分が心地良く、生きることが私にとっては大切で。
それには、今、ちゃんと自分の意思で、こころで、決意で、人生をデザインしていこうと思うのです。

⑤自分の人生に、自分で責任をもつこと。
どうしたいのか、どうなりたいのか。
そして、それにむかって、楽しく、笑顔で、何に今取り組むのか。

豊かさを感じながら、たっぷりと生きること。
心を開いて、私らしく、ガハハハっと幸せに生きること。
それは、何をするかが大事なのではなくて。
自分が、自分を好きでいられる、そんな自分でちゃんといること。
心をひらいて、青空を見上げて、空気を吸い込んで、
そして笑顔いっぱいで。
自分ができることを、勉強して。
自分ができるようになりたいことを、学んで取り入れて。

そう、久しぶりに、心がパーっと、長い長い曇り空から突き抜けたような感じ。
 
⑥甘えまくりでも、頭だけでも、そんな私でも一緒にいてくれる人達がいる。
だからこそ、そこに甘えるのではなくて。
そんな人達がいてくれるからこそ、自分の命、可能性、自分自身を、もっともっと
世界に分かち合って、色とりどりに生きていこう。
  
⑦そんなわけで、久しぶりの、ぐるぐるぐるぐるぐる時期が、ようやく終了。
今回もたくさんの人にお世話になったなあ。ありがたや。

自分の足で人生を作っていく、立っていく覚悟が、
なんだかようやく、小さい胸に宿りはじめた、いま、この瞬間。
 
⑧そして、そんな人生には。
やっぱり私は、ひとが重要で。
改めて、大切な人を大切に出来る自分でいたいと、そんなことを思うんです。
そう、結局は、そこに戻ってくるのです。
 
⑨ああ、なんだか。
ただいま、じぶん。