@ゆちこのブログ

ゆっちのいろいろを、出来る限りその色で綴るそんな日記。

@ゆちこの日記

共通点を見つけるのではなく、違いを楽しむ。

最近のゆちこをつらつらと。

①何度も書いているのだけれど、やはりこの前の奈良で開催されたフォーラムが、じわじわと色んな影響をくれていて。

そんな私が今感じているのは、人と向き合う、言葉を交換する、ということ。

②フォーラム前と後で一つ変わったと思うところは、話の中で「違い」に興味が湧いたこと。

なんでそう思うんだろう、そう行動したんだろう。
そこに、自分ではない人と出逢う楽しさがぎゅっと詰まっているなーとなんか、思うようになったのです。
そして、それは自分を広げてくれて、ああ、生きるって、出逢うって面白いなと益々感じる、そんな最近。

③共通点を見つけると、その人と急に近くなれる感覚がずっとあった。
同じ出身地だったり、同じような夢をみていたり。
こんな世界を作りたいということが一緒だったら、同じことをしていなくてもなんか繋がっている気がしたり。
今ももちろん、同じを見つけると嬉しくなる。
そして今は、そのうえでの、違いがあるともっともっと知りたくなる。

④例えば、自分が二人いるとして。
全く同じ思想、趣味、思考。
そんな私といるのは居心地がよいかというと、きっと◎。
でも、ずっと一緒にいたいかというと、きっと◎ではないと、思う。

⑤人はみんな違う。生まれも育ちも感じ方も。
似ている人や同じ匂いのする人はいるかもしれないけれど、みんな一人一人、違う。
それは関係が近い両親と子供であっても、兄弟であっても、双子であっても。
ましてや違う環境で育ってきた、恋人や友達などは、もう違う生き物だと思う。

⑥だからこそ、その違いを楽しむこと。
違うことは悪いわけでは決してなくて、むしろ違うからこそ広がったり、気がついたり、そういうことがたくさんある気がしている。
同じだったらつまらないもの。
そう思うと、どんな人との出逢いや時間も、その違いを楽しめれば宝物になるんじゃないかなと、ふと思った。

⑦あ、書いてて思ったのは、

同じ=良い
違い=悪い

というのが、心のどこかにあったのかもな、と。
私とその人の関係性にとって。(その人自身の人生という意味では、それこそみんな違ってみんないいと、思ってはきてたけど)
違いがたくさんある人とは、その人自身を認めてなかったかというとそんなことはなかった(と思う)けど、自分とその後関わるかとか、私とその人の間には、違うということは違うということで、向き合ったり、もっと知りたいみたいなのはなかったんじゃないかなーーと。。


⑧そんなわけで、今は違いに興味がある。
人と話すということ、出逢うということ、お互いを知るということ。
まだまだ、面白い世界がたくさんありそうだなあ。。


⑨人と時間を過ごすということ。
その中にはいっぱいの発見があって、もっとそれを分かち合いたいなと思う。
うん、こんな考え方もあるんだ、生き方があるんだ、そういう世界を私も先輩方にたくさんあるよって教えてきてもらったからこそ。

私はやっぱり、机の上のリンゴ農家になりたいなと、そんなことを思うのです。