すごい、すごくないという判断軸。
今のゆちこをつらつらと。
①すごい、すごくない。
先日のフォーラムは、ゲストスピーカーが話す、参加者が話す、という繰り返しの形で。
あたしはその進行の仕方が好きだし、今までもトークライブを自分達でやるときは、こういう形をとってきた。
でも、自分の感覚的に、同じなのになんか違う、そんな感じがしていた。
この違いは何なんだろう、と。
そしてその答えは、フォーラムの中の西村さんの言葉で見つかった。
「ゲストスピーカーも1人の人。ここに参加している人も、1人の人」
ゲストスピーカーだからすごい、あんな経験こんな経験してるからすごい。
そんな感覚があった自分にハッとした。
自分の場作りにおいても、ゲストスピーカーはすごいという、なんだろなんか特別な感じがきっとあったんだなと思った。
参加してくれてる1人1人も一緒なのに。
②あたしは見栄っ張りだし、すごいと思われたいとずっと思って生きてきた。
すごいと思われることは、自分の揺るぎない位置や居場所を確立出来るんだと無意識に思っていたのかもしれない。
そして、それは人に対しても、無意識にすごいすごくないの判断軸を持っていたんだと思って、心臓がきゅってなった。
③すごいという、形のない基準。
いい、悪いではなくて。
すごい人かどうかではなく、1人の人としてもっとその人といたい。
あたしも、みんなも、世界に1人。