@こころのブログ

日々の心のいろいろを、出来る限りその色で綴るそんな日記。

@ゆちこの日記

神様はいて、いつも優しく助けてくれる。

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お天気が良い今日の午前中に、ちょっと弱音をこぼしたら電話をしてくれた友達がいる。(以後神様)
この神様は私の話を聞いてくれ、ブレーキになっている点を一緒に突き止めてくれて、どうしたいのかを引き出してくれた。
そして「私はこうしたかったんだーーーー!!!」ということが分かって、そう出来るようにまずは話し合ってくる!と決めたときから、ぐぐぐぐぐぐっとプロジェクトが加速した。嬉しさとワクワクさを伴って。

こんなふうに、困っているときに助けてってヘルプを出すと、どうしたのかねと手を差し伸べてくれる神様がいるということ。

彼女が私にくれた彼女の1時間という貴重な時間。
それは私のそこからの何時間もの彩りを変えた。

 

打ち合わせのあとに農家さんのお家へふらっと遊びにいったら、キャリーいーーっぱいのみかんを頂く。ちょっと見栄えが悪いから売れないというイチゴをご近所のイチゴ農家さんに頂き、
そのおすそ分けをと立ち寄った旦那の実家で結局ご飯をご馳走になる。

時間だったり、経験だったり、その人自身の才能だったり、美味しい果物だったり、幸せな時間だったり。
こんなに嬉しいものを私は頂いて頂いて頂いて生かされているんだなあ、と胸があつくなる。

 

世界は優しい。
ありがとうたくさんの神様。

 

大分暮らしが始まってから、この「頂く」という機会がものすごい増えた。
さて、自分は何があげられるのだろう。まだまだ分からないからこそ、何が出来るのかな、という気持ちを常に持ち続けて生きていくことは出来るよな。

ただただ旦那の自慢

朝起きたら旦那はすでに仕事へと行っていて、リビングに行くとゴミは捨てられベランダには洗濯物がなびいていた。

結婚してもうすぐ4ヶ月、私の旦那は本当にすごい。

好きな食べ物はと聞くと「うどん」といい、お弁当いる?と聞くと「お米と塩だけのシンプルなおにぎりがいい」という(簡単)。

手の込んだものを作るとものすごい喜ぶけれど、チャーハンとか煮込みうどんとかの10分料理でも美味しいなあ、と嫌味なく笑う。

ご飯を食べたら必ずお皿を洗い、お茶かたまにカフェラテを淹れてくれる。
「じゃーん」といってお菓子を添えてくれることもある。

タバコも吸わずギャンブルもせず、車で5分の職場からまっすぐに帰ってくる。
趣味は将棋。お酒は飲めるけれど、付き合いで嗜む程度で夜遊びもしない。

私が一人で旅に出てる間は勝手にうどんを茹でて食べてくれるので準備もいらず。
出発前に見ぬふりしていた不在票に電話をして、私の荷物を引き取ってくれている。

私の激しい感情の起伏のどちらをもまるっと抱きしめてくれる。
私のテンションが落ちて暴れたときは、布団の中で「話したくなったら話してねー」と背中をさすってくれる。
しばらくして落ち着いて振り向くと、背中をさする反対の手を使いスマホでマイペースに将棋をしている。

こんなに嫌味がない人がいるのか!と一緒にいればいるほどびっくりするし、
こんなに他人に自分の真ん中を左右されない人がいるのか!とも驚く。

仕事をしてなくても家事をしなくても1日中漫画読んでだらけてても帰ってきてご飯作ってなくても掃除してなくても不機嫌でもどんな私の状態でも、なんにも変わらず旦那はマイペース。罪悪感が溢れてごめんねって言うと、そんな日もあるよねってこれまた嫌味なくさらっと言う。

 

 

「結婚してよかった?」と友達に聞かれて旦那との毎日を考えてみた。
でも一番結婚してよかったなと思うのは、こんな旦那に何かあったら、妻であれば私にまず連絡が来る、ということかもなあと思う。
連絡がないということは、一緒にいなくても元気だということだと思うから。
そしてこれは、結婚という制度を使い家族になれたからだなあと思うから。

と、リビングですやすや眠る旦那の横顔を見ながら書いてます。
酔ってるわけではないんだけれど、こんなときもあったなーといつしか思うかもしれないから、忘備録として(笑)。

 

けんけんのけん

週末は山口・島根へひとり旅。

 

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色んな友達が全国に移動し、暮らしを作っていっている。
金谷時代からの親友けんけんは、今島根県に。

顔見れて少し話した段階で、もうやってきてよかったって思った。
けんけんは、まっすぐ前を向いていたから。

ーーー
Instagramに書いた言葉より】

けんけんに逢いたくて、萩から車を飛ばして島根県津和野市へ。
久しぶりにあった彼は、にじみでる優しさはそのままに、身体の中心に強さを帯びていた。

デザインも場作りもWEBも言葉を綴ることも大工しごともこなすけんけんは、とても器用な人間。
器用貧乏なんてことばがあるけれど、その器用さをけんけんは最大限に活かしていた。どれもが彼の強さとなり、どれもが重なりあって「けんけんのしごと」が生まれていた。

一緒に悩んでもがいて話して描いた3年前の金谷時代。
そこから色んな経験を重ねたけんけんは、まっすぐ前をむいていた。

私が帰りたくなったのは、すごく嬉しかったからだと思う。
ふと横を見ると、まっすぐ前をむいて進んでいるけんけんがいるからだ。

一緒のことをやってなくても、同じ道ではなくても、
そういう存在がいてくれることがとても嬉しい。
ーーー

きっと今もけんけんは彼の創りたい暮らしや世界に向けて、おしごとをしているんだと思う。自分を大事にするも、休むも、作業するも、全部がおしごと。

 

言葉にして残したいのに、言葉でこねくり回さずにただただ前を向いて一歩一歩進むけんけんの姿に触れたあとだと、全てが陳腐に思えてしまう。

言葉がなくてもちょっと触れたら伝わってしまう。生き方として、生き様として。

 

今の私をあのときの私が見たらなんて言うかな、と帰りの車で思った。
やっぱり生きていてよかったでしょ、とドヤ顔かなあ。

あのときの私に伝えたいことは何かなあ、とも考えた。
色々あるけれど、帰ってきたら可愛い旦那が待ってるよ、かなあ。

 

自分を大事にするということ

今のゆちこをつらつらと。

 

①今日は朝から「よこいツアー」を開催。改めて本当にいい場所いいお店がいっぱいだなあと私もしみじみした一日。
そしてやっぱり悩んだりしたときに、自然の中でぽつりと珈琲を飲みながら話すことってすんごいすんごいいいなあと思った。途中の彼女の涙や表情がガラリと変わり瞳が輝く瞬間に、なんて人は愛しいんだと思って私も泣きそうになった。こうやって目の前の人に集中して過ごせる時間って本当に贅沢。

 

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②昨日ブログを書いたらどんっと心が開いて、大好きな人にとにかく大好きを伝えたくなった。そして、大好きな気持ちに蓋をしないってもうなんてすんばらしいの!!とひっさしぶりに小躍りしたくなって、実際にくるりと踊った。
「自分が元気でいること以上の仕事はない」と前に決めたことを話しながら思い出したけど、まさに自分の心が小躍りくるりしているときは世界の温度が優しくなる。
表現するってやっぱりいいな。読んだよって連絡くれたみんなに頭があがりませぬぜ。ありがとう。

 

③この半年くらい「自分を大事にする」というはやりの言葉を実験してきて、私にとって「自分を大事にする」ということは「自分のことばかりを考えること」ではないことが分かった。あくまで、私にとって。
自分の気持ちを大切に約束をキャンセルしてみたら、そんな自分は私は好きではなかったし、それは私にとっての「自分を大事にする」ではなかった。

「大好きな人を大好きでいる!」という、大好きな人を大切に出来ていると思ったときはもうそんな自分が大好きになるし、だから人を大切にするのは自己犠牲でもなくその人のためでもなく、私の自己満足なんだと思った。そしてそれが私にとっての自分を大事にすること。自分ファースト、は好きな人ファーストしている自分をファーストにできていること、だった。

 

④私にとっての自由とは、私が好きだと思うことをただただ表現すること。
昨日は84歳のアーティストのおばあちゃんのお家で5時間ほどお喋りをさせて頂いたのだけれど、まあその感覚や感性に何度も心が震えた。
人と同じ作品はつまらん、とそのおばあちゃん。その人が爆発的にあふれ出ている作品こそが面白いんだ、とおばあちゃん。
下手とかうまいとかじゃなくて、どれだけエネルギーがその作品に込められているか。
おばあちゃんの家にさる様々な作品は目には見えないけれど本当にパワフルさが出ていて、私の感性を何度もガツンと刺激してくれた。
アートと結構無縁に生きてきたけれど、自分らしく生きるを求める人が多い昨今、注目すべきはアートなんじゃないかと思った。
アートってすごい。生きるも表現であり、アートであり。
ほんと、すごい。

 

フェイスブックを久しぶりに書いたら、何人かがコメントをくれた。
コメントを書くことってきっと5分程度のことなんだろうけど、もうその反応をくれた人が愛しくてたまらなくなった。「反応する」って誰にでも5分で出来る愛だなあと思った。離れていても、近くにいても。その人のこと大好きですよってことを伝える方法って、メールでも電話でもラインでもSNSでももう色々あるんだな。
そんな当たり前のことを忘れていた自分にはっとした、3月最後の日。雨のいちにち。

ブログ部の活動はじめます。

最近のゆちこをつらつらと。
 
①「表現がしたーーーーいいいい!!!」と叫んだ最近。
リアルなこの心の声を、音を、そのまんま。
いつかふっと振り返ったときに昔の自分にニマニマとしちゃうような、そんなそんな。
この飽きっぽい私はまあいつも続かないので、今回はフェイスブックで私のブログを読んでください♡とお願いしてみました。

一つの実験、2週間ブログをかき続けたらどんな感情が沸いてくるのかを知る。
ひとことかも知れないけれど、14日間ブログを書いてみる、という実験。
よければおつきあいくださいましましまし。
 

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(天然ジビエのホットドック。こっちではふらっと鹿肉もらうことがよくあります)
 
②ちょうどこの3月末で、ゆるりとした生活も6ヶ月。

ダラダラする自分を攻めたり、人に何か言われるとちょっとのことでイラっとしたり。
輝いている(ように見える)人が羨ましくて妬んだり、暇すぎるゆえ(そして自分の辺な高いプライドゆえ)なんかそんな自分の真ん中とは違うところばかりに悩んだりウジウジしたりしておりました。

ほんとぷー。ぷーぷーのぷー。

 

③そしたらね、正直なんかそんな毎日にこれまた飽きてしまって(笑!
本当自分の飽きっぽさにビックリするけれど、そんな自分に飽きちゃったから、
たくさんありがとうをして、また新しい実験を始めようと思ったわけです。
(その一つ目がこれ。ブログを書くときめて書いてみる、ということ。
今までは気が向いて書きたいときに書いていたけれど、書くときめて書いてみる、という実験。うほ)

 

④あれ、なんかことばがつらつらと出てこない。
読み返しても面白くないw
今日あったこととか、感じたこととか色々あるのに!!

というウゴウゴの気持ちで消してしまいたくなるけれど、
今日はこのまま投稿してみます。
今日の今のリアルは、そんな感じです。

⑤今日改めて思ったのは、大好きな人に大好きと伝えたいし、大好きな人に全力を尽くしたい。私は大好きな人達と一緒に生きていきたい。出来ることを増やして、チカラになれる人になりたい。私としてしか生きられないけれど、そうやって生きていこうと思った!!!♡!

 

嬉しいチカラ

最近のゆちこをつらつらと。
 
①ここ最近、いやここ半年くらい。自分を大切にする、自分ファーストという考え方を実験してきていて。まず自分を満たすところから始める、というもので、とにもかくにも自分の気持ちや機嫌をファーストに行動してきてみた。(という実験)
結果はどうだったかというと、自分ファーストとは、私にとっては自分のことを一番にするということではないのだなあ、ということが分かった。
自分の大切なことを大切にする、ということは、自分の大切にしたい人を大切にする自分である、ということだなあと思った。
 
②「私は」なにがしたいのか、という問いをよく考えていたけど、ひょんなところに答えはあった。私の大好きな農家さんのみかんを売るということになったときに、自分の寝たいとかダラダラしたいといかそういう欲をずーんとこえて、ニコニコとやりたいことが溢れたのだ。
そうか、私は好きな人のチカラになれるときに、私の最も優しく嬉しいチカラが溢れ出るみたいだ。すごい簡単なことだけど、私にとっての最も自分らしく自分らしさが出せる環境がどういうものかが分かった。嬉しかった。

 
③嬉しいがいっぱいの毎日はやっぱり幸せ。私の嬉しいは、自分と人との間に生まれ、そこからもりもりっとさらに周りに広がり、繋がり、可能性がどんどんと膨らんでいくことなんだろうなあと思った。
 
④毎日が幸せだなあ、と改めて。

久しぶりに、ドキドキするなあ。

最近のゆちこをつらつらと。
 
①今日は結婚して3ヶ月目の記念日。まだまだ予約するときの新しい名前にも慣れないけれど、やっぱり結婚しての変化はあるなあとちょっと朝しみじみ。
「実際結婚してみて予想と違っていたことってあるの?」と友達に聞かれたときに思ったのは、「思っていた以上に旦那との生活が面白いこと」。
ある意味誤算であり、ある意味とても新しい。
  
②(久しぶりにブログを書くと、頭で考えてしまっていてスラスラ出てこない。文章を書くこと、言葉を綴ること、リハビリも兼ねてもっとふらっとやっていこう。
ブログってよりすぐったものを残さなくちゃ!みたいなイメージがあったけれど、このブログは今この瞬間の自分の心を残すもの、と割り切って、もっとふらっと軽やかに書いていこうと思った。誰かに読んでもらうための文章ではなくて、あくまで未来の自分に向けて。そう、そんな位置づけを一つ決めたら、なんだかまた書くのが楽になってきた。

 

③最近は「どう生きるか」をよく考える。そしてそれを急いで考えることもなく、まずはゆるっと自由きままに生活をさせてもらった。いつか降ってくるだろう、と。
結果からいうと、降ってくるというよりも、どう生きるかというテーマがあって生きると楽しいなあ、というムズムズ感になり、ファミレスでどう生きるかを自分と向き合うことがワクワク感になった。「考えるな、感じろ」とよく言われているけれど、いつのまにか「考える=間違え、感じる=正解」という方程式が成り立っていたのかもしれないな、と今ハッとした。

どれが正解かも、自分で決める。ついつい周りの人や素敵な人が言っている言葉や感覚を正解としてしまいがちだけれど、それが自分に合うのかどうかは自分で実験するしかないのかもしれないな。
選んで、やってみて、検証する。
実験して、結果を得る。
生きることは、世の中の正解探しの実験ではなくて、世界にたった一人しかいない
自分を生きる、自分を活かすための環境や行動、思考をとにかく実践して検証することなのかもしれないなあ。
過去に色んな人が実際に実証してくれいて、それは世の中に本やブログなどというカタチになって次に伝えてくれているからこそ、ゼロから生み出す時間を先人の知恵を拝借して実験から始められる、幸せ。
世の中の心理とか、あるのかもしれないしないのかもしれない。
大事なのは、自分が今見て生きている世界にとって実証から知ること。
そしてそれはあくまでも私の世界にとっての話で、他の人にとっての正解ではもちろんなくて。
ただただ、「こんな考え方があって、それを採用して、やってみたら私にとってはとても良かった!」という一つの過去(他人)の事例であるだけ。
「それを知って人生よくなりました!」というのが正解でもなくて、それで役に立てることが正解でもなくて、まあつまりはなんでもよくて、ただ、自分の生きている毎日や人生は、生き方や考え方の実験検証をしながら、ドキドキとして行きたいんだなあ。

④色んな働き方を今までやってきて、ある程度の実験検証をしてきた。
どれくらい働くのが自分にとって嬉しいのか、人との付き合いかた、自分との向かい方。そして今、新しく「この生き方の実験がしたい」というベースが見つかった。
結婚して引越しして家族が増えて暮らしを作っていく土地が決まって、「何がしたいか」を考えて、ああそうじゃないなあと思って、「どんな暮らしを営んでいきたいか」ということを考えるようになった。

一進一退な毎日だけれど、でも何か、じゃなくて、どんな。
どんな感情を日々感じて生きたいのか、どうしたらそんな毎日が過ごせるのか、
今出来ることは何なのか。そんな積み重ねな生き方を実験して行きたい、今。

 

⑤そんなこんなで、次の生き方にドキドキする。
久しぶりに、ドキドキする。そんなお昼。

 
⑥大切にしたいのは、今思ったこのことを、今一生懸命すること。
もうこの実験はしつくしたな、とちゃんと思えるくらい、自分にとっての感情の動きを検証出来るくらい、実験しつくして生きていきたい。