すらすらと話しているときの言葉は、今の自分の心から出ているのか
最近のゆちこをつらつらと。
①昨日から、鹿児島県の甑島にきています。
甑島は2回目だけど、観光地化されていない、本当に「島」らしい島。
夜真っ暗な海を見ながら、一人でぼーーーーっとする贅沢さがたまらんのです。
一人になれる場所って、実はあまりないんだな。
②昨日、一緒にプロジェクトに関わる仲間達と、地元の方と一緒に飲んでいて。
絞り出しながら、言葉を発しているときと、
すらすらと話しているときがあるな、と。
気心しれた友達ではなく、初めましてだからこその、まだ初々しい距離感が(多少なりとも)ある中で、言葉に詰まるときと、すらすら。
この違いは何だろう、と。
③すらすら話しているとき、それはもう過去に話した言葉をなぞっていることが多いのではないかと思った。
「今やっている仕事のこと」
「人生の転機」
「人生で大切にしていること」
今まで何度か聞いてもらっていること、聞かれ慣れていることが、
いつのまにか言葉がテンプレートしているということに昨日話しながら気がついた。
そんなときは、今の自分が話しているのではなく、
過去の自分が話ているのであり、
それはもう話し方の抑揚の付け方までなんなら決まっていて。
まるで台本がある喜劇みたいに、すらすらすらすらすらすらと、相手の求める答えをかっこよさげに話しているのだ。
そして、過去の自分が感じたことを、人と話す中で決してアップロードされることはない。
④今まで生きてきて、自分なりに答えが見えたものと、まだ分からないものがある。
仮説でも、答えが出ていることは整理させているので、話すのが簡単で。
そしてそれは、ある程度(相手にとって)「話せてよかった」と言ってもらえることも多い。
そしてそれとは別に、まだ分からないもの。
今まさにうずまいていて、途中経過のような、ふつふつとしているような。
自分が話している中で自分が発見しちゃうような、そんな話になるときもある。
相手にとって、こんなまとまりのないこをと話して申し訳ないな、
そんな気持ちで溢れる、あの感じ。
今までそんな時間をよしとしていなかった自分にも、気がついた。
人と話すときは、ちゃんと答えがないといけないと思っていたのだ。
でも、昨日はちょっと違った。
まさにそこには、その瞬間のライブ感がある言葉が溢れていたのだ。
荒削りで、回り回っていて、とりとめがなくて、
言葉に自信がなくて、相手の反応が気になって、言ったことをちょっと後悔しちゃうような、そんな「LIVE」感のある言葉達が溢れたのだ。
それが、人と話すとき、その瞬間を一緒にいること、なのかもしれないな。
そんなことを、ふと思った。
ライブ感のある言葉は、おもしろい。
⑤何かを解決したいわけでもなく、心の中にある、まだ言葉になっていないもの。
カケラ達かもしれないし、カタチになっていないかもしれない。
でも、そこにその人の心の色がある気がして、まだ他からの色が足されていない、自分やその人にしか出せないそのままの色がある気がして、その色に触れてみたいと
思う。そう、ただ、そこに触れてみたいだけ。一緒にその温度を味わいたいだけ。
⑥人と話すときに、その答えは用意されているものなのかどうか。
これから、そこをちょっとしたときに意識していこうと思う。
毎回その瞬間の自分の、心で話せるような。
毎回違っていても、今のその瞬間に感じていることを。
目の前の人と交換しあう、そんな話し方をしたい。
⑦そんな朝思ったことの、忘備録。
「紹介する/される」にある、上と下の関係性。
最近のゆちこをつらつらと。
①「人の上下関係」について、最近考えることがあった。
ここでいう「上下関係」とは、会社の上司と部下などではなく、人としての「上」と「下」。
なぜこんなことを考え始めたのかというと、それは本当に些細な、友達のこんな一言がきっかけだった。
「ゆっち逢った方がいい人いるから紹介するよ」と。
例えば、私が何か新しいことを始めたくて。
そして、誰か経験がある人を探している、という場合、この「紹介する/される」という構図は納得がいく。
美味しいラーメン屋さんの店主さんを紹介してください。
取材したいので、こういう人いたら紹介してください。
このときの構図にも、納得がいく。
しかし、その時は何故か違和感が残ったのだ。
②そのときそんな違和感を感じたのは、「紹介する/される」に、人としての「上」「下」を感じたからなのだとそのあとにはっと気がついた。
その一言によって、その友達の中で
紹介する人が「上」であり
私が「下」である。
そう、私の心は感じて、そして勝手に拗ねたのだ。
③そんなこと、その友達は思っていないかもしれない。
そして、何よりも、自分自身が人に対して「上」とか「下」とかを、無意識のうちに持っていた、ということにこのことは気がつかせてくれた。
いや、気がつかせてしまった、なんて綺麗な言葉ではおさまらない。
なんと、そんな自分に気がついて「しまった」のだ。
④自分に自信がないと、色んなことがきにかかる。
そして、自分の存在を肯定するために、そして安心するために。
人の位置づけを、無意識のうちにしてしまっていたのだ。
「上」と思う人には意見を請い、
「下」と思う人には上からものを言う。
そしてそのバランスにより、自分は肯定された気持ちになり、
自分は世界に欠かせない人なんだと、思っていたのだ。
(実際には、思わせてもらっていた、のだ)
⑤自分でいい、と思いながら。
「下」に見られたくない、という自分に出逢う。
出来ない自分を受け入れているようで、
受け入れている自分はすごいと、出来ない自分を受け入れている自分を用意していたにすぎないのではないか。
ガラガラと、色んなものが崩れていく。
⑥「どんなあなたもすばらしい」
果たして、心底そう思っていたのだろうか。
どんなあなたもすばらしい、(と思っている私はきっとすばらしい)となってはいなかっただろうか。
⑦出来ない自分を受け入れるのが、正直とても怖い。
出来ない自分だと思われることも、正直とてもとても怖い。
それは、自分が一番、そんな自分を実は知っているから。
ハリボテに作ってきた、そんな自分を見抜かれるのも、本当の自分をさらすことも、
とてもとっても怖い。
⑧「人のいいところしか見ようとしない」と、昔お姉ちゃんに言われたことがある。
自分も、相手も。
怖いけど、そんな怖さをかかえたままで、色んな人の感情や色を見ていきたい、と思っている。
⑨相手にとって、「上」でも「下」でもどっちでもいい。
そう、心から思えるときに、周りの評判ではなく、自分自身で自分の人生のハンドルを握れるのではないか、と思う。
出来ているようで、私はまだまだ自分の人生のハンドルを、誰かに任せてしまっている。
⑩私は、私。
なんだか呪文のように唱えたくなった、
そんな風が気持ちのいい、帰り道。
言葉を伝えること。彩ること。
今日のゆちこをつらつらと。
①私は今、webの編集というお仕事をしている。
ライターさんの採用育成、そして担当ライターさんの校正を担当。
この仕事を初めて約1年。
ふと気がついたのだけど、私はどれくらい、この仕事から成長しているのだろう。
②「何をされているんですか」と聞かれて、「ライターです」というのに何だかためらいがある。
何でだろうと思うと、自分の書いている文章に自信がないのだ。
この世には、たくさんの面白いライターさんがいる。
個性が溢れていて、言い回しも面白くて、毎日のふとした瞬間に彩りを添えてくれている。
そんな彼ら、彼女らの文章を読めば読むほど、自分の仕事を果たして「ライター」と名乗っていいものか、と思う。
③私はこの1年、ほとんど文章を書かないままに編集の方を担うことになった。
それは、私の文章というよりも、コミュニケーション能力をかってもらっているのだと(勝手に)思っている。
そんな私が、偉そうに校正をしていいものか、ずっとこのわだかまりがあったことに気がついたのが、つい最近。
そう、恥ずかしながら、ただただ、目の前の仕事をこなしていたに、すぎなかったのだ。
④人の話を聞くことに、苦手意識がある。
引き出す質問をすることも、得意ではない。
「うちの○○の紹介記事書いてくれない?」と言ってもらった際は、「いやいやいやいやいや!!!」と全力でお断りをする始末。
そう、その理由はとても簡単で。
期待して頂いた以上のものを納品する自信がなかった。
するりと、プレッシャーや成長の機会から、逃げたのだ。
⑤客観的に、上手に文章を書くことは得意ではない。
でも、「私」の視点からみたことを書けるのは、この世界で私が一番得意なのではないかと思うようになった。
この情報が溢れる今、自分の目で見たものを、自分の言葉で。
「何を」より「誰が」の時代だからこそ、私が見たものを、私の視点で、世界に表現していきたいと、改めて真剣に取り組んでみて感じる、なう。
⑥そして、それは同時に。
今の自分の語彙力の少なさや、レパートリーの少なさを露にさせる。
自分が全力で書いてみて、自分の今の実力のなさを知り、へこむ。
と同時に、今を知れたからこそ、もうこれは素直に、勉強したり吸収したりするしかないのだと、思う。
この歳にして、と思うけど。
でも、今気がついたから、今やろうと思う。
⑦ありがたいことに、今記事を書いてお金を頂ける環境にいる。
SEOをあげるコツとか、そういうのは分からないのでプロにお任せするとして、
私は愛情を持って、一つ一つの記事を表現していくことを大切にしたいと思う。
⑧仕事に大切なのは、愛情だと最近思う。
愛情を持った仕事をしている限り、世界には優しい気持ちが溢れたり、豊かな気持ちが溢れるのではないか、と思う。
⑨そんな、今日のつぶやき@スタバ。
北風と太陽。
最近のゆちこをつらつらと。
①この物語の、ずっと太陽のような人に憧れていた。
②この一ヶ月、私はこの世界に存在していたのかが分からないくらい、なんだかぽやっとしていた。
もしかしたら、世界からいなかったのかもしれない。
肉体はこの世界にあって、普段通りに生活していたのかもしれないけど、私の真ん中、ど真ん中は違う世界にいっていたんじゃないかと、思う。
なんだか、言葉にするのが難しい。
人に話すのも、難しい。
今までで一番、自分と一緒にいたい、そんな今。
ゆっくり本を読んだり、ぼーっとしたり、仕事をしたりしたい。
人に幸せを委ねていた私にとって、新しい感覚なのだけど、なんだかそんな居心地のよさを感じはじめた、この9月。
⑤元気であっても、なくても。
私は今日も生きていて、助けてもらっていて。
呼吸をしていて、美味しいものを食べて嬉しくなって。
愛情あるものに触れるとじんわりする。
⑥全然まとまらなさすぎるけど、なんだか、そんな感じ。
違和感の正体は「誰かのため」。
最近のゆちこをつらつらと。
①なんだか、ずっとなんだか。
すっごい些細なことなんだけど、「違和感」を感じていた。
一見順調に見える毎日の中で
でも、確実に何かの違和感がそこにはあって。
なんだろ、そう、何だか100パーセント心から笑えていないような
何かがずれているような
そんな感覚が、気がつけばここ2ヶ月くらいずっとずっとあった。
②そして、今ふとその正体が分かった気がして
久しぶりに思わず書き残したくなったのだ。
その正体は「誰かのため」。
③ここから、自分はどこで誰と何をして生きていきたいのかを考える。
そんな中で、無意識的に思っていたのは 「誰かのため」。
でも、誰かって誰だろう。
そして、それはその誰かのためにと思ってやっている時点で
おせっかいであり、押しつけであり。
言うなれば、感謝の強制、みたいな感じなんだと思う。
その人が例えば何かを得たとして
「あ、でもそれって私のおかげだもんね、むふふ」と
軽やかに思う自分は好きだけど、そこに自分の存在価値を持ってしまうのは
自分的に違うな、とガーンと降ってきた。
④自分より、誰かを優先してしまう。
それって一見ステキなことで、実はものすごい執着や嫉妬を生んでしまう。
自分以外の何かに、誰かに、喜びの基準の中心を置くというのは
ものすごい簡単に崩れてしまう。
⑤今後やりたいことはないけれど。
今までは「こんなことをして、人にこんなことを届けたい」みたいなのがあった。
でも、そこで自分が欲しかったのはただの優越感だったんだとはっとして、
思わず恥ずかしくなった。
⑥自分のため、の先に誰かのためが繋がっていて。
誰かのため、を自分のために使うのは違うなと感じはじめた。
結論そうなるのと、それを目標にするのは大きく違うと思っていて。
うん、自分がどうしたいのかに素直になろう。
⑦自分はこうしたい。あなたはこうしたい。
それでいいんだな。
今までないがしろにしてきた、自分を。
まずは、一番のパートナーとして、大事にしていこう。
⑧自分のことばかり、に不安があったけど。
自分の幸せには、周りの人と、世界の幸せが不可欠で。
それを今まで生きてきた中で感じてきている、そんな自分に確信があるから。
思いっきり、思いっきり、自分のことばかりになっても
いつかはきっと、そこに繋がるんだと思う。
⑨1週間の鹿児島生活も今日が最終日。
鹿児島住みたい。住んでみよう。
焦らない、こんな時間を慈しむ。
最近のゆちこをつらつらと。
①東京に帰ってきてから1週間。
車で17時間かけて、大分県から東京へと帰ってきました。
振り返れば、あっという間の約3ヶ月。
そして、帰ってきてそのまま六本木へ。
前日の同じ時間は森にいたのが不思議なくらい、
すっと東京ライフが戻ってきたのがなんだかおもしろい。
②東京も好き
帰ってきて思うのは、ああ、東京も好きだなということ。
特に嬉しいのは、逢いたい人にすぐ逢いにいけること。
「今からいくねー!」の一言で、逢いにいける人がまだまだ東京にはたくさんいて。
それって、すごいすごい贅沢なことで。
帰ってきてから昨日までは、ひたすら逢いたい友達と再会。
前職の仲間、前々職の仲間、その他にも私の人生の各所で出逢ってきてくれた
大切な人との再会に、じんわりと嬉しさが募るのです。
私は飽き性で、これといって積み重ねてきたものってなくて。
それが不安になったり、悩んだりもちろんするけれど。
でも、出逢ってきてくれた人に恵まれていることは、この道で間違えなかったって言える唯一のことだと思う。
自信がふっとなくなったときに、いつも支えてくれるのは、今までこれまで出逢ってきてくれた、一人一人なんだと思う。(ありがたや)
③迷うことを、迷わない。
何かを決断したかったり、覚悟を決めたかったり。
最近の私は、なにかどこか、焦っていた気がする。
でもきっと、必要なときはするっと決まるんだと思う。
必要以上に迷うことを恐れず、ぼんやりする時間を恐れず、何もしていない自分を責めず。
必要なときに、しっかりとフルパワーが出せるように、
今は充電したり勉強したり。
それでもいいんだなと、ようやく自分に許可が出せるようになってきた。
今は、いつかの「過程」のひとつ。
④3年ぶりの仲間と一緒にキャンプ。
久しぶりの仲間とキャンプへ。
こうしてまた集まれるのも奇跡だし、当時一緒に3日間過ごしたことも、奇跡。
いつもキャンプに行くと、同じメンバーでキャンプをすることは二度とないことを知る。
「また逢おうね」に偽りの気持ちはなくても、
「また逢える」って、本当に奇跡。
高校時代の友達も、毎日ぎゅっと一緒にいたけれど。
今は逢えるのは、年に1回あるかないか。
どれがいいとか悪いとかではなくて。
そのいられるときだけが、一緒に過ごすときだけが、事実であり、リアル。
だからこそ、今この瞬間を。
おもいっきり、おもいっきり、一緒にいる人と一緒にいる。
過去でも未来でもなく、今のこの瞬間を大事にする。
改めて、そんな大切にしたいことを思ったキャンプだった。
これからも、私は多くの人に出逢っていくと思う。
その中で、「またね」に委ねず。
出逢えて一緒にいられる、その瞬間をリアルとして、大切にしていきたい。
という、自分への自戒をこめて。
⑤この先どうしていきたいのかなーと、最近色々と考える。
そして、どうにかないかと重箱の隅をつついてきたけど、
やはり私には「これを絶対やりたい!」みたいな夢、はないんだよなと、知る。
でも、こうしたい、こう生きたい、はある。
それも立派な夢だと思うと、すっと心が楽になった。
そして、だからこそ。
「これをやりたい」という人に惹かれるし、その夢に(依存ではなく)私もjoinさせてもらえるのって、なんてラッキーって思う。
ないものに目をむけすぎず。
あるものを、大切に慈しんでいく。
今日も、風が気持ちいいこと。
ビールが美味しいこと。
友達が連絡をくれること。
明日から旅行にいくこと。
当たり前にもう一度目をむけると。
ありがとう、ありがたいが、満ちていくのです。
⑥(こころの)パンツを脱ぐ
今のほっとキーワードがこちら。
まだまだできていないけど、そして、脱いでみて「あーやっちまった」と思うこともあるけれど。
今は、そんな人との付き合い方や向き合い方を、手探りで実験中。
⑦この夏の一つの大きい発見
お互いに、「おかげさまで」という気持ちと態度を忘れないこと。
関係は、誰かと誰かの間に起こるもので。
そこに、「やってあげている」「やらせてあげている」みたいな感情が起こると、一気にその色が変わってしまうと思う。
謙虚さ、とはちょっと違くて。
いつもいつでも、
「ありがとう」という、相手への想いや感謝。
それを持てているかどうかって、ちょっとした態度や行動に現れるんだと思う。
正直、私は今まで傲り高ぶって生きて来たから、この感覚にとても疎くて。
でも、この夏色んな人と過ごす中で、これを大切に出来ている人が魅力的だったので、
私もそんな人になりたいと、思うわけなのです。
そして。
こんなまだまだまだまだな私と
一緒にいてくれたり、逢いたいと言ってくれる人がいることに、
ああ、ありがとうが溢れてやみませぬ。
ゆるゆる、ゆるる。
最近のゆちこをつらつらと。
①森にきて、約2ヶ月。
なんだろう、ああ、この感じを言葉にするのが、難しいくらい。
色んな色に溢れる、そんな時間と空間と、そして空気を過ごしている。
ああ、毎日の色んなことが溢れていて。
それを文字に書き起こしていないことが、振り返ると残念で。
でも、その時の自分とか、ずんことか、一緒にいてくれる目の前の人とか。
そんな関係性の中に、そのときの自分がいたんだと、思う。
とにかく、色んな感情や色を味わいながら、
なんだか今、この瞬間。
ゆるゆる、ゆるる。
そんな、心がほわっとしている、そんな心の色なのです。
②一昨日くらいに、ちょっとしたしゅんとすることがあって。
ちょっと しゅんとしていたら、ずんこが絵本を読んでくれた。
「この世界にようこそ」という、本。
そして、その最後に、笑顔でにんまりと。
「ゆっちさん、この世界に、ようこそ♡」と。
そのときは、嬉しいなってただ思っていたけれど。
なんか、散歩しながら思い出して、その優しさや、温かさに涙がでた。
③ないものを見てしまうときりがなくて。
きりがないんだけど、実はたくさんのものが、私の手の中にはある。
今、この瞬間に、それはたくさんあって。
そこを愛しく、愛おしく思うのに、ついつい外のないものに目を向けてしまう。
一人の森の夜に、あるものを数えてみた。
いっぱいいっぱいあって、ぐっとした。
ああ、私は贅沢者なくらい、たくさんのものをすでに持っていたんだ、と。
東京にいる、大好きな友達と電話で話した。
なんだ、逢いたいならば、話したいならば、一本電話すれば良かっただけだったんだって、思った。
遠いから逢えないとか、そんなことはなくて。
逢いたいなら、逢いにいく。
声が聞きたいなら、電話をする。
なんだ、こんなシンプルなことだったんだと、思った。
④素直になることが、得意な分野と苦手な分野がある。
でも、そんな私の背中を押してくれたり、応援してくれたり。
そんな存在が、近くにいてくれる。
改めて、この歳になって、こんな友達が出来る奇跡と。
そして、その存在と大きさを、ちゃんと今この瞬間に、味わえているのかなと、思う。
一緒にいる、この瞬間と、この時間と。
この奇跡に、改めて感謝と、ありがとうをこめて。
⑤もうすぐ、このゆるゆる、ゆるりな森生活も終わり。
しばらくは東京に帰る予定だけど、先のことは分からないなと。
その時の、自分の直感を信じて。
そして、どんな状況や環境でも、自分でいること、自分の大切にしていることは、それだけはいつも心に持っていたいなと、今思う。
それが何なのか、これですってまだ分からないけれど。
でも、きっと今まで生きていた中で、生かされている中で、自分の中の譲れないものってあると思うから。
それを大切にしていきたいと、そんなことを思うのです。
⑥ないものねだりをしがちな最近。
ないもので、欲しいなら。
拗ねずに、その気持ちに正直にいたい。
そして、あるものに、より愛情をもって、幸せな気持ちをもって。
じわり、じんわり、そんな毎日を笑顔で送っていきたいのです。
⑦今、同い年の仕事をしている2人と、一緒のコワーキングスペースでこのブログを書いていて。
各々の人生は違うし、目標も違う。
でも、今この時間と空間を共有していて、休憩のときは一緒にスイカを食べて。
笑って、ぐだって、真面目になって。
なんか、そんな時間が、当たり前のようで愛しい時間だなと、思うのです。
⑧こういう、ゆるいけど、大好きな仲間たちとの、時間。
(仲間、という言葉にしてしまうとふわっと軽くなってしまうんだけど)
ああ、たわいもない話をして、盛り上がって、そして取り組んでいる。
こういうの、人生の幸せだなーと、しみじみ感じる、今この瞬間。
⑨私はやっぱり、何をするのではなく。
誰とするか、これにつきるのです。
ああ、なんて人が恋しく、幸せな時間なのでしょう。まる。