@ゆちこのブログ

ゆっちのいろいろを、出来る限りその色で綴るそんな日記。

@ゆちこの日記

2018年のこと

あけましておめでとうございます◎

ご実家でのんびりしながら、安室ちゃん見て感動していたら2018年になっておりました。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

今年は自分の気持ちにより正直に、直感を研ぎ澄ましながら進んでいきたいなと思っております。自分の気持ちはどうかな?どう感じているかな?なんか違和感があるな。あ、なんか違うな。あーこれ楽しいな!もうなんかドキドキするなー!
こんな自分の心の声を誰がじゃなくて自分が一番に信じてあげようと思っています。

 

そしてそんな選択したことに集中して、目の前の今を一歩一歩たっぷりと生きて行った先に、2019年があるんじゃないかと。どんな感じかはまったく描ききれないけれど、この判断基準さえ忘れなければ今描くことすらできないような温かいことが起きていると思うのです。

すでに昨年末からなんか変調がみえてきて、私自身も今年がどんな一年になるのか未知の塊。おもいっきり、たっぷりと。この命を大事に大事にしてあげたいと思います。

 

目指す方向としては

・ご機嫌ファースト、自分の感覚を研ぎ澄ませて最優先してあげる

・ものは作る、もらう、なおす。買うときはもう一生大事にしたいお気に入りのトキメクものを丁寧に購入する

・ダウンシフト。生活コストをさげ、自給率をあげ、家族と暮らしをベースにした土地に根付いた毎日へ

・トコトコ小商い、複業ベースのおしごとの作り方。パラレルキャリア、小商い、ナリワイ、月3万円ビジネスあたりがキーワード。

・小さく、豊かにをベースとした一年間へ。好きな人たちを思いっきり大好きでいることに集中する

 

気楽にブログももっと更新できたらいいなと思っております。みなさま本年もどうぞ宜しくお願いいたします◎

 

 

2017年の終わりにむけて

お久しぶりの、このブログ。
ちょっと過去の自分の記事を読んで、ああこんな自分がいたなあとぎゅーっと抱きしめたくなった。

ありがとう、あのときこうしてカタチに残してくれていた自分。
綴ったときの気持ちとか匂いとか空気とかをふっと思い出して、なんだかそのときの時間をまた味わせてもらったきぶん。

ああ久しぶりに書いてみるとどんな風に書いていたかなあ、とドキドキするな。今の徒然をできるだけ頭じゃなくてお腹から綴っていきたいな、と久しぶりにカタカタしております。

 

最近この一年を振り返ることが多いのだけれど、今年は悲しいことも嬉しいこともあった一年だった。今までこうだと思っていた自分自身がガラガラと音を立てて崩れていった一年でもあるし、自分自身に対していっぱい悲しくなった一年でもあった。

 

と同時に、もしかしたらすごい楽になった一年かもしれない。

自分に勝手に課していた、自分ってこんな人っていう何か憧れのような背伸びのような部分が実は虚像だって気がついたから、これが自分かあ、といい意味で諦めがついた。

それじゃダメだって責めることも終わり、この自分からちょっとずつ小さくもこっそりと始めればいいじゃない、と思ったのだ。

 

大きく広く、なんとなく広げてきたような気がする。

自分にできることがあれば心を無視しても誰かのためを(勝手に)優先させてきたし、私への評価は前よりも気にならなくなったけれど、やっぱりどこかですごい気にしてた。

 

でもこの年末にかけて、私は自分のご機嫌を一番にすることに決めた。
こころの声をもっと大事にしてあげることにした。

会いたい人には会いにいくし、会いたくないときは無理に会わない。
人との距離も近さも、自分が心地よいところでよし。

 

誰に後ろ指をさされても、それは違うと言われても、私は誰よりも私の心を信じてあげることにした。

私はまず自分を満たすという土台をもう一度整え直す時がきたのだと思う。3年間は土台作りとして、小さくも濃く、そして豊かに毎日の暮らしや目の前の人やことを大切にしていこう。

今日熊本から遊びにきてくれた友達が、今もとっても幸せって言っていて、ああまさに私もそうだなと思った。

毎日好きな人がいて、美味しいものが食べられて、温かいおウチがあって。もうそれはなんて贅沢な暮らしなんだろうって。今ここの幸せを数えたらもう溢れるくらいあるのに、ついついカゴから溢れてしまったものに執着してしまっていた。

 

別人になろうだなんて思わないけれど、この私として、小さく小さく、そして豊かに日々の暮らしを営んでいくことが始まろうとしております。

 

今までの自分、ありがとう。これからの自分も、ありがとう。

 

(今日友達に毎日ブログを書くといいよ!と言ってしまったので、私も久しぶりにブログ書いてみました。またこうしてこの瞬間を未来の自分へプレゼントできたらいいな。小さくもゆるく、そして綴っていこうと思います)

 

 

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「机の上のりんご農家になりたい」という想い

「机の上のりんご農家になりたい」
と、ことあるごとに言っていた。

 

「何がやりたいの?」という言葉は、今まで耳に何匹もタコさんができちゃうくらい聞かれてきたし、自分も東京にいたときは色んな人に聞いていた。

直接知っている人はご存知だと思うけれど、とにかく私は興味分散型。
面白い!と思ったことには躊躇なく飛び込むし、面白くない!と思ったことはさっと辞める。その特性を自分でも知っているからこそ、後腐れないイベントという形が大好きなのだ。

で、冒頭の話。
「何がやりたいの?」と「コト」ベースで聞かれると本当その瞬間によって答えが違う。「料理人になる!」などとスパっと言える人をずっと羨ましく思ってきたし、その1つを探しあぐねてきた気もするけれど、とにかく一つコレ!みたいなのはない。
これかなって思って、やってみて、なんか違うなあ、とにかくこれの繰り返しな気がする。

で、そのやってきたことやりたいことを全て並べてみると、「選択肢を増やしたい」という共通の想いがあることに気がついた。
いいものはいっぱいあるからこそ、知ってもらいたい。知ったうえで選ばないのは全然いいけれど、知らずに選べないのは独り占めだと思うから。もっといいと思うものは、ワケワケしていきたい。それが人の可能性を広げると思うし、実際私もたくさん広げてきたからだ。


人は選択肢の中からしか選べないから、一つでも色んな選択肢を増やすこと。
机の上の選べるりんごを増やすこと。
それこそが一見バラバラに見える私のやりたいことと嬉しいこと。

 

そしてそこから色んなことがあり、今のお店を始めて3ヶ月が経とうとしている。
毎日のやることもやらなきゃいけないこともいっぱいある中で、たまにふうっとこの離れた視点を思い出すことはとても大切だなあと思うここ最近。

なんのために、が自分の中でちゃんと見えていると、そこに繋がる小さいやるべきことに向かう気持ちがまた変わる。

忙しいときこそ、ふうっと一休み。
なんでどうして何をしたくて何が嬉しくて、全部で自分がやりたいことはなんだろう。

わかっていることも、わかっていないこともあるけれど、
自分の大切なことを常に忘れずにいたいなあ、という忘備録。

 

そして何かのために休むんじゃなくて、何にもないからこそ休むこと。
その真っ白な余白の時間こそが、自分の思考を整理したり、大きい視点を思い出してくれたりするのだと思った。
1日休むことは、1日止まることじゃない。
次の1日を、その何十倍も色鮮やかにしてくれるものなんだ。

 

好きな人ものコトで循環する社会。
大好きな人たちが元気で嬉しいエネルギーを注げる世界。
そんな笑顔あふれる世界を次の世代に伝えていくために、さて自分がやれることはなんだろう。

 

こころの充電時間・東京へ

こんにちは、ゆちこです。
最近のゆちこをつらつらと。

①ブログをまた書こうと思ったこと
昨日までの5日間、久しぶりに東京へ。これが本当によかった。
そして5年前に一緒に学んでいた仲間たちに久しぶりに再会。
「ゆっちブログ書いたら?」と言われて、「いやでも…」と出来ない理由がつらつらとなる私。

というわけで、最後「んじゃ書こうかな」と言ってしまったので、またブログにこのその瞬間を残すことにすることに。読み返さず考えすぎず、今までと同じようにダダっと一本書きでいきます。

②ほりけんの田んぼと畑へ

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栃木に住んでるちあきちゃんと。

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思い返せばちあき&ほりけんとは東京で一緒にいるより九州で過ごしている時間の方が長い。私の人生に欠かせない二人。こんなに自分のことのように相手の幸せを願いあえる人がいることがとても嬉しい。

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ほりけんの落花生畑。無農薬、除草剤も使わないという伝説の落花生。
前回も食べたけどこれがまた本当に美味しいんだ。

ちなみに出来上がると、カラスが食べにくるらしい。隣の畑の落花生には目もくれず、彼の畑の落花生だけを食べるらしい。クスリ使わず美味しいことを知っているんだなあ。そんな落花生。秋は限定でゆで落花生あるよ。これがすごーーーく美味しいんだ。今年も楽しみ、すくすく育ちますように。

 

③心が充電された5日間

ちょうど東京に行く前日、なんだか心が窮屈になって旦那にやつあたり。
毎日お店も嬉しいし、人にも逢うし、やることもいっぱい。なのになんだか心が小さくなっている自分を感じていて。
出来ないことに目がいって、出来ないことに落ち込んで。全部が出来ると思っていた自分に驚いて、高いプライドに唖然とした。

「ゆっちゆっち」とチヤホヤしてくれることに慣れてきていた私は、人ありきになっていたのか何が自分の支えにしていいのか分からなくなっていたのかもしれないなあ。

そんなタイミングで東京へ。出来ないこともたくさんあるけれど、大切に思ってくれている人がいる。そんなことに幸せを感じて帰ってきた。

まだまとまってないけれど、とにかく私の自信のココロが充電された。
すると、言葉を発するのも、何かをしようと思うのも、なんかとても軽やかになる。
どんな自分かを見失うとどんどん失速していく。
単純な私はもう見事にこれによって結果パフォーマンスが変わる。

そんなことを改めて知った貴重な時間だった。ああ、充電された。

そんなわけで、充電された私のココロはいい感じです。

 

想いの押し売りをしない

突然に思い出したことを、つらつらと。


「うちはお芋を洗うのも手作業、そのほかも基本的に手作業でやってるんです」と、以前見学させて頂いた芋焼酎を作る酒蔵の方が言っていた。

「でも、それを特には言わないし書かないし伝えないようにしています」と。


手作り=良い!機械=悪!みたいな風潮が(私は)どこかあると思う。

当時私も想いあるものを!とか、丁寧に作られたものを!とか強く思っていたタイプ。

そんな時の酒蔵さんのこの言葉はガツンとやってきた。

「どこの酒蔵さんも美味しいものを作ろうと、お客さんに喜んでもらおうと試行錯誤している。機械をいれると品質があがったり、少し安く提供できたり、効率がものすごいあがったりする。それが企業努力。その一方で手作りですよとうたってしまうと、そのほかの酒蔵さんの印象を悪くしてしまう可能性がある」


企業努力、そうか、そうだよなあ。

みんな喜んでもらえるように努力していて、その一つが機械を入れるということかもしれない。機械=悪と思っていた私はとても恥ずかしくなった。


トーリーが見えにくい、と友達がコンサルの人に言われたと相談してきてくれた。

イジメにあってたからイジメを世の中からなくしたい。

親のトラウマがあるからそれを解放する方法を伝えたい。

自分の経験は、ものごとを起こす時のものすごいエンジンになると思うし、分かりやすいから共感も得やすい。


でも彼女の楽しそうだから、でもいいんじゃないかな、とも思う。ホワイトなエンジンでも、軽やかにぶんぶん進めるんじゃないかな、と。(私もこのタイプだからそう信じたいというきもちもきっとある)


想いの起源がなんであっても、手作りでも機械でも、そこから生み出されたプロダクトが愛が詰まっていて、触れた人が嬉しくなっちゃうものならば、いいんじゃないかなあ。

よいものを届けたい、というそのキモチ。

当たり前のようにみんなが持ち続けられる世界がいいなあ。

九州暮らし2年生が始まります

去年の昨日、トランク一つとリュックという軽装で、私は門司港駅へと降り立った。
友達(とんちゃん)が軽トラでむかえに来てくれて、新しいお家(とんちゃんちの隣)まで帰ったことを思い出す。

夜になったら知らない女の子などがぞろぞろっととんちゃんちにやってきて、
気がついたら私のいらっしゃいパーティーが開催されていた。

まだリアルに思い出せる、あの日から一年。
というか、あれからまだ一年。

 

とんちゃんと昼から料理したり、お出かけしたり、気がついたら友達が引っ越してきてくれて2人暮らしが始まっていたり。お風呂がないからみんなで銭湯に通ったり、小倉まで仕事しに行ったり。何よりも門司港は歩いているだけでとても楽しい街。たくさん歩いて歩いて、夜も散歩をたくさんした。(そのことはとても痩せた)

気がつけばとても不思議な毎日で、今思い出しても楽しかったなあとほっこりする。
そこから恋をして色んなまさかの展開があって、わずか4ヶ月で門司港のお家を出て中津での暮らしが始まった。

わずか4ヶ月だったけれど、私の人生において「ただいま!」と帰れる場所が出来た。
「何をしている」とか、「こういうこと出来ます」や「これに興味あります」みたいな人との繋がりではなく、「この地域に住んでます」という人との出逢い方は、私にとっては心地よさが溢れていた。きっとこの地域に住んでいなければ出逢うことのなかった方々との出逢い、友達との出逢い。「同じ学校にいても友達にはなってないだろうなあ」という人を最初の印象で判断せずに深くしっていくチャンスがあるというのは、地域というくくりのある素晴らしさだなと今書きながら湧いてきた。

ちなみに今私は「ツキイチヨコイ」という活動をさせてもらっている。
内容は月に一度、門司港でお店をやりますというもので、私自身が月に一度は門司港に帰りたいし、みんなにも会いたいし、みんなが集うきっかけを作れたら嬉しいなと思って今年の1月よりスタートした。
定休日のカフェをご厚意で貸して頂き、私は中津の野菜を持って料理をしにいく。
細く、でも長く。
この街に好きな人がいるかぎり、ただいまと言いにこの活動を続けていきたいなと思っているのです。「よこいーおかえりーー!!!」がとても嬉しいから。

 

この前打ち合わせで、風の人と土の人の話になり、昨日はそのことについて色々と考えた。
私は今、土の人としての活動量を増やしている。今住んでいる場所が好きだし、もっともっと知りたいなと思っている。この街で暮らし続けていくために、自分が欲しいと思う場所作りを今している最中だ。

遊びにくるにはとてもいい場所だと思うこの街。
暮らし続けるにはどうだろう、それはまだ答えが出ていないのが正直で。
私は自分がま~本当にいい!と思うものしかいいと言えない性格だからこそ、
この街を「まーじでここは暮らすのにいいよ!」と言いたいんだと思う。
そしてだいすきな人がこの街を気に入ってくれて、ご近所になって、一緒に畑したり遊んだり企んだり創ったりワイワイしたりしながら、そんな輪を大きくしていけたらいいなと思う。まだまだかなり妄想だけど、そんなが超テンションあがる。

 

あとは、毎日に疲れちゃったときとかにふらりと遊びに来られる場所にしたい。
畑仕事とかやることはたくさんあって、そんな毎日の中で自然にも癒やされて。
悩むときって自分の価値を見失いがちだと体験談から思うけれど、こっちにくるともう元気に身体が動くだけで出来ることがたくさんある。3時間ただ悩むなら、3時間草を狩って欲しいと思っている人がたくさんいる。

そんなところに、きっとピンと開くものがあるのだと思う。

 

というわけで、そんな妄想をむふむふしながら、まずは一歩ずつ。
この街で自分の仕事を作っているみんなとシェアオフィスとカフェを始めます。
これからプロジェクトを生んでいきたい人の実験の場になったら嬉しいし、
人が繋がる場になってこの街に相互支援文化が生まれたらもうニマニマ。

そしてカフェと雑貨エリアでは地元の人も外から遊びに来てくれた人も出会えて、
ガイドブックでは分からない生の情報や人を繋ぐことが出来て、
この街がいいなと、また帰ってこようと思ってもらえるそんな一つの場所になれたらいいな。

全部が繋がっているのかいないのか、無計画にもほどがあるけど。
でも、自分が欲しいと思ったものを、自分たちで作っていく。
九州暮らしの1年間で変化したのは、「暮らしを作っていく」という感覚なのかもしれないな。

話すという贅沢

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今私は鼻歌を歌っていて、こころがドキドキそわそわしている。
心からただただ漏れ出した気持ちを丁寧に扱ってくれる。
今関東にいる友達とミーティングをしたのだけれど、そんな彼らの優しさに胸がなんだかいっぱいで、ありがとうと、ドキドキと、そわそわと、うきうきが混ざり合っている感じ。なんだかくすぐったい、そんな感じ。

 

日々の暮らしの中で、大切にしたいものの順位が変わった。
自分が譲れない部分も、ある種頑固なくらいこだわる部分も。

自分ってなんて小さくて無力なんだと思ってた頃。
自分の可能性を引っ張り出してくれる方々に出逢い、私の出来ることが増えた。
そしてそこから調子にのって、なんかどんどんと天狗になっていき不義理な自分に違和感を覚えながらもそれにも気が付かずにただただ前に向かっていた。
そして今、一つ一つに丁寧さを込めること、一人一人と丁寧に向き合うこと。
これ以上でもなく、これ以下でもないと思うようになった。

自分が無力でも天狗でも、そんなことはある種どうでもよくて、
目の前の人やしごとやものごとにただ誠実にありたいなあ、と決めたら、そんなことを考える時間が圧倒的に少なくなった。

もちろんまだまだウダウダ悩んだり出来ていないこともたくさんあるよ。
ただ昔と違うのは、それを悲観するのではなく、現在の自分を受け入れて、やることは変わらない、と思うようになったこと。今この瞬間できることは一つだけだし、そこに命を精一杯使うだけだなあ、と。

 

来月自由大学でお話をさせて頂く機会を頂いた。
一緒にその時間を過ごせる方々にとって、何か小さくても心にひっかかるものがあるといいな。キレイにまとまっている編集されきった言葉達ではなくて、生で逢えるからこそのリアルなその瞬間に生まれる温度と黒や灰色なども含まれた幅広い色がある、そんな言葉をそこにぽんっとおけるといいな。
ゆっちは自由に話してねと言ってくれたその言葉が、
キレイにまとまってないその感じがいいと言ってくれたその言葉が、
こんなにも荒削りな自分をまるっと許してくれるその場自体が、
その講座に一緒に参加するみんなにとっての最大のギフトなのだなあと思った。
いいなあ、参加する人。とてもいいなあ、と心から思う。

今日もゆっくりとしたいい1日だったなあ。
では、おやすみなさい。